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「江南(カンナム)左派」という言葉がある。体は上流層なのに意識はプロレタリアの人々を称する。当初、旧与党勢力・386世代(韓国で90年代に30代で、80年代に大学生で学生運動に参加し、60年代生まれの世代)の人々の自己矛盾的形態を皮肉る言葉に使われたが、いまでは段々と広範囲に使われている。
「考え方は左派的なのに生活のレベルは江南の住民に劣らない人々」を総称する(康俊晩・全北大教授)。もちろん、その場合の江南は、実際に居住する地域ではなく、それに相応する生活のレベルを享有する階層のことだ。一言で進歩的理念を持った高学歴・高所得者層である。多様な職業があるが、特に文化・学界の人物が多い。
政治・経済的意識より文化意識の面からさらに急進的だ。それで「文化左派」という言葉も出てくる。進歩政党・民主労働党の党員である映画監督・朴賛郁(パク・チャヌク)、奉俊昊(ポン・ジュノ)、女優ムン・ソリ氏らが代表的だ。実は、文化界の意識的急進性は東西不問だ。文化というもの自体が既成の転覆だから当然である。
はなはだしきは数百万ドルを稼ぐハリウッドスターらも政治的には保守より進歩の方だ。だから、通常「ハリウッド=民主党のホームグラウンド」に分類される。有数の映画祭が愛す諸映画も左派の伝統が強い。そのため李明世(イ・ミョンセ)監督のような人は「社会主義のリアリズム系譜に基づいた左派美学が、洋の東西を問わず映画界を支配する談論」と語る。
もちろん意識と物質がそれぞれ別に動く傾向は、時々「持った者(主に物質的に恵まれた者)」の偽善や虚偽意識、と批判されたりもする。しかし、世間一般で「良心的ブルジョア」と呼ばれる有識者・専門職従事者らの意識的進歩性が、数多くの社会運動と変化の動因になってきたことを否定することはできない。
また、見方を変えれば江南・文化左派という存在自体が、韓国社会の「理念的スペクトラム」がそれだけ多様化したことを意味したりもする。政治・経済・文化など領域と懸案別に立場が異なることが、アンチノミー(二律背反)と自己矛盾というよりは理念的多元化の証拠だとのこと。
政治的に進歩だが、自分の利益に関連した教育・企業規制・正規職・税金問題などに対しては保守的になり得る、とのことである。
いまや大統領選の季節。政党・政策はなく、スキャンダルと乱れた疑惑の中で一寸先を見込めない状況だが、時間は流れ、大統領選挙日は近付く。参加政府(現政府のこと)のスタートに大きく寄与したが、江南という出身成分のため叱咤され、同時に386の変節と無能力に失望した「江南・文化左派の選択」は何だろうか。もしかすると保守と進歩の境界に曖昧にまたがりながら、固定した理念の磁界に容易に包摂されない人々の選択が、今回の大統領選の決め手になるかもしれない。
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