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エイブラハム・リンカーンは米国の歴史上最も偉大な大統領に選ばれる。米大統領達についての評価書の一つ『大統領の成績表』(韓国タイトル、原題は『The American Presidents Ranked By Performance』、チャールズ・フェイバー&リチャード・フェイバー共著)は、外交・国内業務・行政・指導力・性格の5分野に分け、歴代39人の大統領を総合評価した。その結果、リンカーンは78点を得て第1位になった。ジョージ・ワシントン、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトが1~2点の格差で後を継いだ。
だが、リンカーンが再選に挑戦した1864年、共和・民主両党のネガティブ・キャンペーンは激しさを増した。1863年の奴隷解放宣言により、南北戦争最中の時期だった。「『戦争狂リンカーン』対『小人物マック』」という表現から、ネガティブの殺気が感じられる。民主党は、リンカーンを独裁者・怪物・無知なエイブ(リンカーンの愛称)・ヒトニザル・悪魔・虐殺者などと、攻撃した。これに対抗し、リンカーン側は将軍出身のジョージ・マクラーレン候補を「小心者の敗北者」と、責め立てた。
ブッシュ大統領と民主党候補・ケリー上院議員が戦った04年の大統領選も、9カ月間にわたって泥仕合を繰り返した。イラク戦争と候補の兵役経験をめぐり、相手側を「嘘つき・逃亡者」と攻撃することに熱をあげた。
ネガティブの威力は、古今東西を問わない。高麗(コリョ、考慮)時代の第32代王・ウ(1374~1388年に在位)は「恭愍王(コンミン王、高麗第31代王)の息子ではなく、妖僧(人を惑わしたり怪しげな言動をする僧)辛ドン(シンドン)の息子」という李成桂(イ・ソンゲ=朝鮮時代・太祖)支持派の主張に押され、王位から追い出された。中宗反正(1506年に朴元宗、成希顔らがクーデターによって燕山君を廃位、追放し、18歳の晋城大君を擁立した事件)や仁祖反正(1623年に西人派が光海君と大北派を追放し綾陽君を王に擁立した事件)のように宮廷クーデターの後、廃位された君王には、例外なく「悖倫児(人倫に背いた行いをする者)」、「暴君」というレッテルが付いた。企業は時々、性・犯罪・死などと言った否定的素材を活用する広告技法を駆使する。服飾ブランド「ベネトン」のルチアーノ会長は、約10年前に裸で広告に出演し、議論を呼んだ。マーケティング世界のネガティブは、それさえも愛きょうでもある。
12月の大統領選を控えて政界では「候補の資質検証」という名分のもと、ネガティブ攻防が猛威を振るっている。かつての「『独裁者』対『共産主義者』」の誹謗(ひぼう)合戦もそこのけである。63年の大統領選当時に尹普善(ユン・ボソン)民正党候補は、朴正煕(パク・ジョンヒ)共和党候補へ向かい「麗水・順天(ヨス・スンチョン)反乱事件にかかわった共産主義者だったかも知れない」とし「思想論争」に火をつけた。それ以降「思想論」は、野党を困らせるブーメランに化した。韓国マニフェスト(真の公約選び)実践本部は最近、主要候補に「分野別の政策公約を盛り込んだ『マニフェスト公約集』を25日まで発表せよ」と求めた。大統領選まで1カ月も残っていないが、政策対決は行方不明になったまま、ネガティブだけが横行する。選挙後に国民がどんなブーメランに当たるものか、早くから後遺症が懸念される。
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