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閑麗海上国立公園の小さな離れ島。 外島(慶尚南道巨済市一運面臥硯里)が最近、観光客1000万人を突破した。1995年4月に初めて観光客を受け入れてから12年。 韓国の人口の1/4に相当する人が外島を訪れたということだ。 開場初期は年間10万人程度だったが、00年に年間100万人を超え、毎年観光客は増えている。 この記録は世界的に有名な植物園、カナダのブッチャートガーデン(トロント・ビクトリア島)の年間観光客(80万人余)より多い。外島行きの船が出る港の食堂は大勢の客で賑わい、週末は巨済島内の宿泊施設を確保するのが難しいほどだ。 外島が巨済島(コジェド)観光業界を支えている。イ・チャンホさん(03年死亡)-チェ・ホスクさんの夫婦が、政府や地方自治体の支援なく捨てられた島を20余年間にわたり育ててきた努力が実を結んでいる。 外島の成功は、地方自治体が先を競って島の開発に乗り出すきっかけにもなった。 ペ・ヨンジュン、チェ・ジウ主演のドラマ「冬のソナタ」の撮影場所として有名になり、現在では日本人観光客も訪れる国際的な名所になっている。
◆外島の経済学=外島は韓国3300余の有人島のうち唯一、入場料を受けている島。外島観光客1人当たり遊覧船料が1万5000-1万7000ウォン(約2000円)、外島入場料が8000ウォン(約1000円)。 これに一日の食費と宿泊費5-6万ウォン、その他の観光地入場料を含めると、巨済島を訪れる観光客は1人当たり約10万ウォンを使うという。 少なく見積もっても年間1000億ウォンが巨済島に落ちるということだ。 外島行き遊覧船が出る旧助羅(クジョラ)港で刺し身店を経営するキム・ジョンスクさん(49)は「客の80%が外島へ行く観光客。外島のおかげで食堂と遊覧船の経営が成り立っている」と語った。 外島行き遊覧船は長承浦(チャンスンポ)・臥硯(ワヒョン)・旧助羅・鶴洞(ハクドン)・ドジャン浦・海金剛(ヘグムガン)の巨済島内6カ所から34隻が出発する。 各港には全国から集まった数十台の観光バスが並んでいる。
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△慶尚南道巨済市(キョンサンナムド・コジェシ)の外島(ウェド)ボタニアをつくったチェ・ホスク社長(左)が息子のイ・サンユンさん(右)と一緒に庭園を歩いている。 |
◆親子2代で島づくり=何もなかった島を20年以上にわたり手を加えてきた夫婦だが、03年3月、外島で働いていたイ・チャンホさんが突然倒れ、まもなく死亡した。 島に植える木1本の位置をめぐって喧嘩をしていた夫婦だが、チェさんにとって夫の存在は非常に大きかった。 チェさんは息子のサンユンさん(35)と娘婿のチュ・カンヒョクさん(42)に外島での生活を勧め、息子らは快くこれを受け入れた。 外国留学から帰ったばかりの息子と外国系コンピューター会社に勤務していたチュさんは家族と一緒に巨済島に移った。サンユンさんは「親が生涯島づくりに苦労していたのを見て育ったため少し心配していたが、妹の夫と一緒に島を守っていこうと決心した」と語った。
2人が来てから外島は活気を帯びている。 11月には野外音楽堂が着工される。 50坪規模の音楽堂の建設には30億ウォンが投入される。 すべての建築材料を船で運ぶため、工事費は陸地に比べて3-4倍高い。 また野外温室(200坪)も建設し、世界的な植物園を目指す。 島の正門と船着き場にも手を加え、韓国・日本・中国庭園もつくる計画だ。脳の手術を受けるなど健康がよくないチェさんだが、横になれるよう改造した車に乗ってソウルと島を行き来しながら音楽堂の準備を進めている。これまで建ててきた外島の建物と同様、優秀な技術者をソウルから招くためだ。 チェさんは「外島の人気は、何もなかった島を亜熱帯植物園につくり上げた家族の努力への関心によるもの」とし「飽きられないよう外島は変身を続ける」と語った。
◆捨てられた島を購入して30年=もともとは8世帯の住民が農作業をしながら暮らしていた島だった。 1969年7月、ソウルで服地の卸売業をしていたイ・チャンホさんが友人と釣りをするため島に来たところ、椿が燃料として乱伐されているのを目にした。 これを痛ましく思ったイさんは妻のチェさんと一緒に3年かけて4万8000坪余の島を買い取った後、少しずつ熱帯植物と花を植え始めた。 外島には1000余の植物が育ち、国内では珍しい貴重植物も200種余ある。 95年の開場当時は外島海上植物園で呼ばれたが、昨年、外島ボタニアに改名された。
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