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ところが『のだめカンタービレ』はそんな典型性をみごとにぶち破る。いや、むしろそんな人物たちがたくさん登場する。
主人公‘のだめ’はピアノにすぐれた才能はあるが、ほかは特にぱっとせず、彼の恋人の千秋は天才でかつルックスまで整った、さわやかではあるが、性格にはやや問題がある。師匠のミルヒ・ホルスタインは変態エロ教授、オーケストラでティンパニーを演奏する奥山真澄は千秋を恋慕するゲイだ。
ドラマはこのようにどこかはちゃめちゃだったり、欠けていたりする青春が生み出す楽しいオーケストラだ。キャラクターを生かしきれずにはじけてはぶつかって作り出される笑いは、韓国放送以前からインターネットを通じてファンを形成した。
音大生たちが主人公であるだけにこのドラマにはクラシックがべースにある。ベートーベンとガーシュウィン、モーツァルトにラフマニノフの曲など普段よく耳にする名曲が休まず背景に流れる。
既存の巨匠たちの演奏した音源ではない、ドラマのために新しく録音された曲ばかりだ。したがって定石的な演奏ばかりではない。ガーシュウィンの『ラプソディーインブルー』のような曲はややもすると軽薄に聞こえる。しかしここで使われた音楽は、ドラマを見た人々を自然にクラシックに引き込む力を持つ。音楽の質そのものよりはキャラクターとストーリーの力によるのだ。愛らしいマンガをそのままドラマに移したかのような演出がクラシックを硬くて気高いだけの音楽から愉快な青春のBGMに置き変えたからだ。
長い間クラシック界にはスターがいない。演奏者の質が悪いからか。ではなく、大衆に近付くキャラクターがいないからという気がする。クラシックと言えば思い浮べるえんび服や優雅な表情、それ以上の何も今のクラシック界では作り出すことができないのだ。
キャラクターは人間だ。人間味にあふれ、親しくアプローチしてくるキャラクターが誕生した時、クラシックも大衆に一歩近付くことができるだろう。
『のだめカンタービレ』OSTを演奏したコンサートが売り切れたことからわかるだろう。
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