安重根義士が1910年、死刑が執行された場所と推定されている中国旅順刑務所(現在は博物館)内の現場。 |
韓国民族運動史学会と中国大連大学韓国学研究院、旅順刑務所博物館が共同主催した学術会議が19日、大連大学で行われた。テーマは「大連・旅順地域と韓人民族活動家」。このようなテーマなら日帝の爆圧性と独立運動の抵抗を対立させるケースが一般的だ。しかし、今回の学術会議はそうした二分法を超える討論を見せた。旅順の監獄が安重根(アン・ジュングン、1879~1910)義士と申采浩(シン・チェホ、1880~1936)先生の最期を迎えた所という点で変わった見方をすることができた。
討論は安重根義士の思想をどう見るかで変わった。安義士が守ろうとした国権の実際は何だろう。近代共和政を志向したのか、でなければ王政回復を待ちこがれていたのか。これまでには見られなかった解釈が相次いで出された。
「安重根義士は忠直な勤王主義者だった」(オ・ヨンソプ延世大学研究教授)。
この日、学術会議を熱くした発言だ。オ教授は「安義士が残した揮毫に儒教的価値を盛り込んだ内容が多く、最も尊敬した人物が崔益鉉(チェ・イクヒョン)、李相卨(イ・サンソル)と言った点に注目しなければならない」と述べた。崔益鉉は衛正斥邪派で、李相卨は高宗復位のために努力したという説明があった。
キム・グォンジョン崇実(スンシル)大学兼任教授も「安義士の思想から近代性を見出そうとする中で、過度に解釈していた点はないか反省する必要がある」と指摘した。挑戦的問題提起が続くと朴桓(パク・ハン)韓国民族運動史学会会長が「安義士がロシアで送った2年などを含め、彼の人生を通して判断すればいいと思う」とし、雰囲気を調整した。
韓相権(ハン・サングォン)徳成(トクソン)女子大学教授は安義士の獄中公判闘争を詳しく紹介した。「安義士が“韓国が独立されないのは君主国である結果に起因していて、今日の韓国の衰運をもたらした責任は皇室にある”と言った」とし、安義士の思想を積極的に理解することを提案した。また「公判過程で日本人検察官が(日本の韓国に対する)恩恵授与的文明開化論を立てると、これに対立して安義士が出した国権守護論は以後、抗日独立運動の理念的・道徳的モデルとして定着し、今日の時点にも示唆するところが大きい」と強調した。
許東賢(ホ・ドンヒョン、総合討論司会者)慶煕(キョンヒ)大学教授は「性急な結論は慎もう。独立運動史研究も既存方式を踏襲しては不足なことが多いという点を確認したことで満足しよう」とまとめた。
大連大学ユ・ビョンホ教授は「大連市には未公開の韓人民族運動関連資料が多い。日本の憲兵隊文書資料がすべて公開されることで、満洲地域の韓人民族運動が新たにスポットを浴びることを希望する」と述べた。
パク・ヨングン大連安重根記念事業会長も「安義士の死刑場や墓などに対する正確な考証さえできていない実情だ」と指摘した。
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