古朝鮮と高句麗(コグリョ)に続き高麗(コリョ)も中国古代歴史の一部、という主張が中国で提起された。
中国吉林省社会科学院傘下の歴史研究所・史長楽研究院は、科学院が主管・発行する隔月刊歴史誌『東北史地』3号(5-6月)に掲載された論文「唐の明宗が高麗太祖王建の族籍を明らかにする」で、このように主張した。
論文はまず、王建(ワン・コン)が韓半島新羅(シルラ)人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の後裔だと断定した。 淮河は黄河と長江の中間を東に流れる河。
論文は太祖16年(西暦933年)、党の明宗が送った冊封詔書を根拠に提示した。 すなわち、詔書の「卿(王建)は長淮の茂族であり、漲海の雄藩」という一節に出てくる‘長淮’が淮河流域を意味するということだ。
論文はまた、詔書のうち「朱蒙(ジュモン)が開国した地のよい縁起を追ってその軍将になり、箕子がつくった蕃国の形跡を踏んで幸福と和楽を得る」という一節を指しながら、「この言葉は、高麗は中国出身統治者が建てた国という意味」と断定した。 論文はその理由に「王建の建国を朱蒙の開国と箕子の立国に直接比喩したのは、韓半島の歴史で2人に続いてもう一人の中国出身統治者が生まれたという意味であるから」と強弁した。
中国中央政府レベルで推進した‘東北工程’が看板を下ろした後、吉林省社会科学院が後続および応用研究を推進しているという点で、韓国の専門家らは今回の論文に注目している。
中国吉林省社会科学院傘下の歴史研究所・史長楽研究院は、科学院が主管・発行する隔月刊歴史誌『東北史地』3号(5-6月)に掲載された論文「唐の明宗が高麗太祖王建の族籍を明らかにする」で、このように主張した。
論文はまず、王建(ワン・コン)が韓半島新羅(シルラ)人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の後裔だと断定した。 淮河は黄河と長江の中間を東に流れる河。
論文は太祖16年(西暦933年)、党の明宗が送った冊封詔書を根拠に提示した。 すなわち、詔書の「卿(王建)は長淮の茂族であり、漲海の雄藩」という一節に出てくる‘長淮’が淮河流域を意味するということだ。
論文はまた、詔書のうち「朱蒙(ジュモン)が開国した地のよい縁起を追ってその軍将になり、箕子がつくった蕃国の形跡を踏んで幸福と和楽を得る」という一節を指しながら、「この言葉は、高麗は中国出身統治者が建てた国という意味」と断定した。 論文はその理由に「王建の建国を朱蒙の開国と箕子の立国に直接比喩したのは、韓半島の歴史で2人に続いてもう一人の中国出身統治者が生まれたという意味であるから」と強弁した。
中国中央政府レベルで推進した‘東北工程’が看板を下ろした後、吉林省社会科学院が後続および応用研究を推進しているという点で、韓国の専門家らは今回の論文に注目している。
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