|
昨年4月のニューズウィーク・韓国語版のカバーストーリーの見出しは「新聞とテレビは死んだ」だった。米ノースカロライナ大学のフィリップ・メイ教授は「現在のようなスピードで新聞の衰落が続けば、2040年には新聞は見あたらなくなくなるだろう」と述べる。新聞産業は深刻なジレンマに陥ったのだろうか。
事実上、ニュースを得る重要な媒体としての新聞の位置はいま揺れている。新聞に背を向ける若者が増えている。新聞の購読率も下落傾向にある。広告主にとっても新聞は、数多くのマーケティング戦略の中の「一つのオプション」に転落した。だが新聞としては、状況が厳しくなるほど、高品質の記事と論評を生産できる能力を強化しなければならない。
読者に高品質の情報を提供しようとする努力を続けるべきだ。また、新聞が持つブランドに基づき、インターネット・テレビ・雑誌・モバイルなど読者が希望する多様な「プラットホーム」に情報を送られるよう活動の領域を広めるべきだ。重要なことは、信頼と高品質を土台とするブランドを持つ新聞が、競争力の源泉になっているとの点だ。
そうした点から、新聞の重要性は永遠だ。氾濫する情報の中で、価値のある情報とニュースを処理し付加価値を高めるのは、熟練した専門のジャーナリスト集団の役割だ。情報とニュースを伝える「羅針盤」の役割は、消えることのできない、放棄されてもならない言論の重要な機能だ。しっかりしたブランドパワーを構築したメディア・グループが、そうした役割に充実するならば、今後も十分生き残られるだろう。
この記事を読んで…