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サンスクリット語で「ニルバーナ(Nirvana)」は輪迴を続ける火が消えた状態をいう。 燃え上がる煩悩の火を知恵で消し、一切の雑念がなくなった静かな状態だ。 この静けさの中に最上の安楽が実現される。 これを漢字で音訳したのが涅槃だ。 修行によって真理を体得し、すべての惑いと執着を断ち切り、世俗の束縛から解脱した最高の境地である。 仏教の修行者でさえも生涯到達するのが難しいというこの涅槃の境地を、俗世の凡人らが人生の目標とするのはやはり無理だ。 それで仏教でもこれを一般仏者に強要しない。 大衆に適用できる現実的な基準がないと考えているのだ。 その代わり現実世界で可能な「菩薩」の活動を強調する。 まして、現実の煩雑な日常を扱う政府の政策がニルバーナを追求することはできない。
しかしニルバーナに対する熱望は、これを現実世界で実現してみたいという衝動を抑えることができないようだ。 中世の厳格な規律や20世紀初めの米国の禁酒法が代表例だ。 守ることのできない道徳的基準を政策として出し、すべての人に強要した。 人間なら性欲を自律規制できると信じ、それができない人たちは悪く愚かだと規定し厳罰を与える我が国の「性売買特別法」も同じものだ。
米国の経済学者ハロルド・デムセッツは1967年の論文で「ニルバーナ接近方法」という新語を作った。 理想的な基準や規範から大きく外れた不完全な現実を正すために、政府が市場に介入して規制と処罰に乗り出すことをいう。 (「経済学スケッチ」)
ニルバーナ接近方法は最初から失敗するしかない。 人間を聖人君子と仮定した前提が間違っているからだ。 厳格な道徳的基準から外れる一切の行為を不法と規定し、取り締まりと処罰をしたからといって現実は改善されない。 むしろ副作用を膨らませるだけだ。 まさにニルバーナの誤謬(Nirvana fallacy)である。
政府は最近復活した利子制限法の利率上限を年36%から30%に引き下げるという。 これに合わせて貸付業法の利子上限線も年66%から56%に引き下げる考えだ。 庶民が低い利子で資金を融通できるようにしようという趣旨だが、これは典型的なニルバーナ接近方法だ。 しかし本当にニルバーナを夢見るなら、利子をいっそのこと受けられないようにしてこそ正しいのではないか。 30%は合法で、31%は不法だと規定したからといって、庶民の負担は軽減しない。 お金を借りるのがもっと難しくなるだけだ。
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