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イスラム教の聖典コーランと最近中東のドバイに吹いている超高層ビル建設ブーム。 そのつながりが思い当たらない両者の間には因果関係がある。 利子を罪悪視するイスラム教理が、100階以上の摩天楼なような不動産投資の方向へ金脈をぱっと開いたということだ。 ニューヨークウォール街が注目する「イスラム金融」の新しい話題が「資金洗浄」ではなく「コーラン洗浄」であるのを見るとうなずける。 オイルダラーはあふれるが、利子が望ましくないため、不動産や株式・債券などへの投資と絡めて、利子商品のような、そうでないような巧妙な派生金融商品を作り出すしかない。
利子所得を忌むのはコーランだけでない。「お金を貸しても見返りを期待するな」という警句は、マタイによる福音書でなくとも、新約聖書の随所に登場する。 利子は勤労や事業のように汗をともなわない不労所得という指弾を免れなかった。 中世教会法はいっそのこと利子を受けることを禁じた。 アリストテレスは「貨幣は交換のために作ったもの…利子は畜財方法のうち最も自然に反する」(「政治学」)と説破した。 「通貨不妊説」だ。 一枚の紙、金属の欠片である貨幣がどれほどのもので利子という価値をつくりだすのか、という通念は現在にも残っている。 お金も一般商品のように需要・供給が一致するところで価格が決まるということ、つまり、この‘お金の価値’が金利だという認識が普遍化されたのは、重商主義と産業化を経て資本主義市場経済の花が咲いた近世以後だ。
それなら古代・中世の金銭取引には利子がなかったのか。とんでもない。 むしろ闇市場の高利貸金が広く盛んに行われるのを歴史は見せている。 紀元前5世紀のローマの「12表法」は年12%の金利上限規制だった。 東西古今の最も著名な借金だらけの人間と記録される「ベニスの商人」シャイロックは、16世紀ヨーロッパの都市国家で闇金融がどれほど横行したのかを見せている。 旧韓国末、高宗(コジョン)が出した「質屋細則」は、お金を貸す場合、月5%(年利60%)以上受けることを禁じている。
年66%の韓国の法定金利上限線を40%程度に下げる案が推進されている。 銀行の基準を超えられない庶民の苦痛を軽減しようということに反対する人はいない。 しかしヤミ金市場の実勢金利が100%をはるかに超えているのに無理に‘お金の価値’を引き下げようとすると、市場の反撃を招かないか心配だ。 政策を扱う人たちは、高利貸金との大変な闘争の歴史を一度ぐらいは調べて準備しなければならないようだ。
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