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【噴水台】河野談話



1993年8月に発表された‘河野談話’は、従軍慰安婦の存在を認めて謝罪を表明した日本政府の公式文書だ。 当時の官房長官である河野洋平(現衆院議長)の名義で発表された談話は、1年8カ月間の調査の末に結論を下した。 「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり(中略)募集は軍の要請を受けた業者が主として行ったが、甘言・強圧による事例が数多くあり、官憲が直接加担したこともあった」

河野談話が出てくるにあたっては、慰安婦強制募集事実を暴露した吉田清治の証言が起爆剤になった。 吉田は「太平洋戦争当時に‘国民総動員令’を執行する労務報国会の山口県動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦女性も多かった」と明らかにした。 彼の証言は、91年に朝日新聞に集中報道されて慰安婦問題への関心を触発させ、韓国では元慰安婦の公開証言が相次いで出てきた。


しかし吉田はその後、多くの批判に直面することになる。 著名な歴史学者である秦郁彦は済州道(チェジュド)現地調査を行い、「吉田の言葉を裏付ける証拠や証言は何も出てこなかった」とし、吉田を‘職業的作話師’だとして攻撃した。 窮地に追い込まれた吉田は「一部の事例の時間・場所には創作が加味された」と告白した。

これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で相当広まった。 政界では安倍晋三首相がその代表だ。 彼は首相就任前である2005年4月の講演会で「慰安婦は吉田の作り話で、朝日新聞がこれを報道し独走した。日本メディアが作り出した話が外国に広まったのだ」と述べた。 しかし吉田が強制動員事実自体を否認したわけではない。 彼は自費を投じて韓国天安(チョンアン)に「謝罪の碑」を建てたりもした。

河野談話廃棄・修正論が‘伝家の宝刀’のように主張する論理がある。 慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書は1件も見つかっていないということだ。 しかし事案の性格上、強制動員事例を公文書に記録できたかどうかについては根本的に疑問の余地がある。 これよりもまず、生きている被害者の証言に証拠能力を認めない理由は何かが納得しがたい。 強制連行を証言する慰安婦女性は韓国・フィリピン・台湾・中国などアジアはもちろん、オランダにいたるまで数百人にのぼるというのに。



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