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<取材日記>黄長?氏「亡命から10年」

「何もしたことがないのに10年が過ぎたからといって騒がしくすることはできません」。12日で北朝鮮を脱出してからちょうど10年になる元朝鮮労働党書記・黄長燁(ファン・ジャンヨップ、84)氏が記者に語った所感だ。

97年に北朝鮮・金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の誕生日を4日後に控えて、中国北京の韓国大使館を通じて韓国入りした事件は、「主体思想の没落」と見なされ全世界に衝撃を与えた。しかし、2000年6月の南北(韓国・北朝鮮)首脳会談と和解協力政策の本格化で状況が一転した。

黄元書記はこれと言った記念行事も行なわれないまま寂しく10周年を迎える。同氏は亡命の当時「北朝鮮を民主化させたい」という雄大な抱負を語っていた。同氏の構想を全面的に支援するとしていた韓国政府は、政権交代以降約束を守れなかった。2000年11月には黄元書記に対し「北朝鮮民主化事業は実現の可能性がない雲をつかむような話だ」と非難する声まで殺到した。


黄元書記が太陽(包容)政策を批判したとの理由からだ。政府は当時から同氏の呼称を「黄先生」から「黄」に変えた。02年には、テロの危険性のため国家情報院(国情院)の保護のもと住んでいた特別住宅からも追い出された。黄氏は亡命の対価を過酷に支払わされた。北朝鮮当局の報復で夫人が亡くなり息子と側近らは全員粛清された。

それでも同氏は「反逆的な金正日政権は永遠ではない」、「北朝鮮を脱出する当時の気持ちを忘れまい」と決意を改めた。最近黄氏は保守団体関連の講演や大学生との討論などで多忙な日々を過ごしている。健康は良いほうだという。同氏は、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で北朝鮮が核施設の稼働中止に協力しようとしていることに関連「危機を免じるための金総書記のジェスチャーにすぎない」とし北朝鮮が核を放棄する可能性を否定した。

黄氏は亡命直後から「北朝鮮の核保有は事実」と警告していた。だが、同氏の言葉に注目した人はそれほどいなかった。昨年10月「核保有」が現実化した。それでもその言葉を思い出す雰囲気はなかった。時代が変わったとの理由で、脱北者のうち最高官だった同氏の言葉にわれわれが耳を傾けるべきものは本当にまったくないのだろうか。黄氏を「悲運の亡命客」にしてしまった状況を考えてみると気が重くなる。



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