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「裸の透視」の元祖はレントゲンだ。X線を発見してからおよそ1カ月が過ぎた1895年12月22日。同氏は1枚の写真を撮った。20世紀科学史の最初のページに掲載されたあの写真、生きている人の骨だ。被写体は妻のベルターの手。薬指に指輪をはめている妻の骨は黒く肌は透明だった(ハインリッヒ・チャンクル『Die Launen des Zufalls』)。
レントゲンはこの写真を新聞に掲載する際「妻が見える」と紹介した。やや曖昧で扇情的なその文句は、即時誤解を招いた。当時の人々はX線の写真が「妻を見えるようにする→服を通過する→女の裸を見ることができる」といった具合に納得した。
せっかちな人々は、街の写真師が勝手にヌードの写真を撮るだろうと思って心配した。英国では女の裸体を見ることができるX線のメガネが近く販売されるだろうといううわさが広がり、女性らが恐怖に包まれた。 ちょうどその時、ロンドンのある会社は「X線を通過させないのを保証する肌着」を発売、ヒットしたりもした(アーサー・サットクリフ『愉快な科学史社』)。
初期のX線はどこにでも使われた。何でものぞき込んだ。まずは足だった。第一次世界大戦が終わると軍隊で兵士の結核検査に使われたX線検査装置があまっていた。優れた手腕の事業家が、それを足を測定する機械즂変身させた。「フットオフスコープ」という名前のこの機械は、町内の靴屋にまで進出した。当時の人々は機械の中に立ってぐずぐずする足の指の骨を見て嬉しがった(テレサ・リオダン『美しさの発明』)。
X線は毛を抜き取る機械としても人気満点だった。1925年にはX線を使った除毛サービスを行なうエステサロンが米全域に広がった。1回3ドルで高いほうだが、効果は満点。6回くらいで毛根まで完全に抜き取ることができた。20年間、X線を使った除毛装置の人気は冷めることがなかった。しかし45年、広島に原子爆弾が落ちた後、全쒂が変わった。放射能の危険性が初めて皆に知らされたのだ。
議論を呼び起こしたX線の「裸の透視」が年内に現実化される。 米運輸安全局(TSA)は、人の裸を透視できるX線の検査装置「後方散乱X線装置(Backscatter)」を25日ごろ、フェニックス空港で実験的に稼働する計画らしい。重要な部位はにごらせるように処理するというが、肌を丸ごとのぞき込まれるようになった乗客としては不満に思わざるを得ない。TSAも従来の手による検査を並行するなど頭を悩ませている模様だ。もっとも他人の内側をのぞき込むというのが、たやすいことではない。いずれにせよ、今回はX線防止用の肌着も儲からなさそうだ。
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