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金英男さん拉致された78年、仙遊島では何が…



「28年前、仙遊島(ソンユド)では一体何が起こったのだろうか」--。


北朝鮮による拉致被害(拉北)者の日本人横田めぐみさんの夫が1978年8月、全北群山市(チョンブク・クンサンシ)仙遊島海水浴場で拉致された金英男さん(キム・ヨンナム、当時16)であると確認され、彼の拉北経緯などに対して注目が集まっている。


当時、英男さんと一緒に海水浴場へ行った友達、先輩や家族、捜査を行った警官たちの証言をもとにその日に起こった状況を再構成した。群山機械高校1年生だった金英男さんは夏休みを迎え「2泊3日間、仙遊島に避暑に行ってくる」と8月5日正午ごろ家を出た。義姉キム・オクジャさん(55)は「新しく買った水着と米、おかずなどを用意し、2000ウォンを渡した」と回想した。

一緒に遊びに行った人は町内に住む小学校の同窓生2人と同じ町に住む先輩3人、手袋工場に通っていた友人3人など合わせて9人。彼らは群山市海望洞(ヘマンドン)の旅客ターミナルから午後2時に船に乗り、3時間30分後28キロほど離れた仙遊島に到着した。彼らは海水浴場近くの望主峯(マンジュボン)のふもとにテント3つを張って遊んでいたが、夕食後、先輩後輩間でけんかとなり、午後8時ごろ英男君1人で暗くなった海辺に出たという。

同じ町内の先輩チェ某さん(51)は「Tシャツと半ズボン、スリッパで出かけていった英男がしばらく経っても帰って来なかったので皆で心配した」と話した。午後9時ごろから友達と先輩たちは海辺や野山を捜したが、英男さんを見つけることができなかった。午後10時ごろには警察に行方不明の届出をし、警察は拡声器を通じて「金英男くんを捜している」と放送した。以後、4日間、警察官と住民で捜索したが痕跡さえ見つけることはできなかった。

しかし英男さん家族は5日後の10日、失踪事実を知った。怒られることを恐れ、友達が英男さんが行方不明になったことを何日も隠していたからだ。家族は英男さんが殺害され、埋められたかもしれないとフォークリフトなどで野山や砂浜などを掘り返すなど全島を捜したが見つからなかったため、溺死したと判断、巫堂(シャーマン)を呼んで魂をなぐさめるクッ(儀式をいう)をして服や写真などを燃やした。

しかし約2年後、北朝鮮の対南放送を通じて生存事実が確認された。当時、群山警察所に勤務し、捜査に参加した金某さん(67)は「英男さんが1人で砂浜を徘徊しているとき北朝鮮工作員たちによって連れていかれたと結論を下した」と回顧した。

◆どうして青少年を拉致したのだろうか=対共産業務を担当した警察官たちは「北朝鮮は南派スパイなどを教育する教官を育成するため、年幼い青少年を多く狙った」と分析している。既成世代より資本主義の水が不十分に入った上、単純で北朝鮮の思想を入れやすいからだという説明だ。

ある前職警察官は「70年代は韓国が経済的に厳しかったときで、青少年を拉致した後、豊かにもてなせば北朝鮮によく適応するという話を検挙したスパイたちから聞いた」とし「西海岸で拉致がひんぱんに行われたのは、島が多く、工作船隠ぺいなどに有利だから」と証言した。

80年4月、忠南瑞山(チュンナム・ソサン)の沖合で拘束された北朝鮮工作船の船長は、群山はもちろん全南西海岸まで20回以上も出入りし、拉北者物色など工作をした事実が明らかになった。

実際に金英男さんが群山仙遊島海水浴場で拉致されてから5日後には全南紅島(ホンド)海水浴場で、当時、天安(チョンアン)農高3年生だったホン・ゴンピョ、イ・ミョンウさんが北に拉致された。これに先立ち77年8月には紅島海水浴場で京畿道平沢市(キョンギド・ピョンテクシ)テグァン高校2年生に在学中だったチェ・スンミン、イ・ミンギョさんが拉致された。



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