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先月27日の大阪市中央体育館。 チャンピオン徳山昌守(31)と挑戦者ホセ・ナバーロ(米国)のプロボクシングWBCスーパーフライ級タイトルマッチが行われた。
試合に劣らないほどの熱を帯びた応援も観客席で繰り広げられた。 500人余が一つになって会場内を響かせた応援の声は韓国語だった。 10代、20代が中心になった応援団は、青い韓半島地図が描かれた統一旗を力強く振った。
この日、応援を背に受けてナバーロを3-0の判定で破り、通算9度目の防衛に成功したチャンピオン徳山昌守の本名は洪昌守(ホン・チャンス)だ。 祖父が解放前に故郷の慶尚南道固城(キョンサンナムド・コソン)を離れ、日本に定着した在日同胞3世。 国籍は北朝鮮。 01年には北朝鮮から「人民体育人」と「努力英雄」の称号まで受けた。
洪昌守が日本ボクシング委員会登録選手として活動しながら北朝鮮国籍を維持したのは、強い意志があったからだ。 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の高校に通いながらサンドバッグを打ち始めた彼は、94年のプロデビュー当時、帰化の誘いをきっぱりと拒否した。 「選手生活に問題が生じても朝鮮人という事実は譲歩できない」という理由だった。 当初は洪昌守という実名で選手登録書類を出したが、拒否され続けた。 徳山という名前で活動しているのにはこうした事情がある。
試合前日には必ず遺書を書くというのも、格別な彼の執念をうかがわせる部分だ。 仮に試合中に不祥事が生じた場合、ファイトマネーはどのように分け、意識が回復しなければ安楽死させてほしいという内容などを書きながら、不屈の覚悟を固める。 こうした意志が光を放ち、日本ボクシングを代表するスターに伸し上がった。
公式戦績は32勝(8KO)3敗1分け。 1929年以降に日本が輩出した世界チャンピオンの中では3番目のロングラン記録だ。 2年連続で日本ボクシング委員会から最優秀選手(MVP)に選ばれている。 彼は「リングでは自分自身のために戦うが、勝てば同胞に勇気を与えるという思いでやってきた」と語った。
洪昌守には素早い左ジャブのほか、もう一つトレードマークがある。 無名時代から「ワンコリア」(ONE KOREA)と書かれたトランクスを着用してリングに上がっていた。 試合のポスターに「われらの願いは統一」という文字を入れ、日本メディアの注目を浴びたりもした。 しかしある時から彼のトランクスから「ワンコリア」の文字が消えた。 韓半島旗を持って入場する姿も見られなくなった。 長い間彼を取材してきた記者は「北朝鮮が起こした拉致問題で日本人の反北朝鮮感情が高まり、洪昌守選手も葛藤しているようだ」と話した。
31歳という年齢も彼にとって負担になっている。 先月27日の試合後の記者会見では「どういう道を歩むか分からないが、ボクシングで培った根性を最大限に生かして、これからの人生を頑張る」と語った。 「頂点にいる時に自ら名誉ある引退をする」という内心を表した言葉と受け止められる。
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