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韓国のほとんどの成人男性が幼い頃に経験したはずの大人のふざけたいたずら。 「‘コッチュ(トウガラシ、性器を意味する)’はどこにあるかな…」という突拍子もない冗談だ。 そしてそっと近づいてくる無礼な手も我慢しなければならなかった。 よく知らない人でも「愛情の表現」として容認してきたわれわれの独特の文化だ。 社会学者らは「強い男児選好思想から始まった現象」と診断する。 男児の‘コッチュ’を触る行為には、多産と子孫の永続的繁栄を祈願する一種の規範儀式的性格もある。
しかし冷やかしの対象になった子供の立場では「性的いやがらせ」を十分に感じうるという。 児童学者らによると、普通の子供は3歳になると男子と女子を範ちゅう化できる能力が生じる。 小学校に入学する8歳ごろには性に関する概念がある程度完成される。 幼い子供だからといって受動的・受け身に性のアイデンティティーを体得するのではない。 自分の性に適した知識を積極的に構成し、性の役割に関連して身体的・精神的発達を遂げるということだ。 特に、男児の場合、6歳ごろにはフロイトが主張したオイディプスコンプレックス(父を憎悪し母に対して抱く無意識的な性的愛着)を克服していくという理論もある。 小学校入学を前後して、子供の性のアイデンティティーはすでに確保されたと見なすべきだというのが、一般的な学説だ。
女性団体からは「男性優越主義に基づいた特定身体部位接触は道徳観念に反する醜行」という主張が出ている。 「子供を漠然とした保護の対象でなく、自発的な権利の主体と認めなければならない」ということだ。 米国がいわゆるミーガン法(Megan’s Law)に基づき性犯罪者の名前と住所を住民に知らせるのは、子供の「性的自己決定の自由」を保護しようという目的もある。 最高裁が、「コッチュはどこにあるかな」と言いながら9歳の男子小学生の‘コッチュ’を触った疑いで起訴された59歳の教師に有罪を認めた。 「性的羞恥心と嫌悪感を招いた醜行」というのが理由だ。 裁判部は‘コッチュ’を触った行為に対し、「現在の社会環境と価値基準、道徳観念にも合わない」と明らかにした。 子供の人格権を保護した意味ある判決のようだ。 だが‘祖父の孫愛’までも法によって醜行とされる世の中にならないか怖い。 「コッチュがなくなった」という大人の冗談が時には懐かしくなることもある。
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