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18年前だった。
88オリンピックが開かれたその年の秋、12人の服役者が矯導官の鉄砲と実弾を奪取して逃げた。3万人の警察兵力が投入されたが、彼らは警察の追跡を避け8泊9日間、ソウルを逃げまわった。
人質劇まで繰り広げた。そして「有銭無罪、無銭有罪」を叫びながら死を迎えた。当時マスコミに特筆大書された「チ・ガンホン事件」だ。以後、忠武路(チュンムロ)映画版ではシナリオが回り始めた。チ・ガンホン事件の映画化企画だった。誰も気経に乗ることはできなかった。結局『実尾島(シルミド)』のように昔の企画となってようやく映画化が可能になった。
19日封切りされる映画『ホリデー』がそれだ。12日、ソウル三清(サムチョン)洞のあるカフェでチ・ガンホンを演じた俳優イ・ソンジェ(36)に会った(彼の劇中名はチ・ガンヒョックだ)。
「実存人物なだけに負担ではなかったか」という問いに彼は首を横に振った。「むしろひかれました。閉じこめられた者と脱する者、全く日常的ではない脱獄素材が魅惑的でした。それに雑犯なのに重刑の宣告を受けたチ・ガンホンについても知りたかったんです」
撮影の前、彼は4カ月にわたっておよそ10キロを落とした。「モムチャン」を狙ったのではなかった。「劇中のチ・ガンヒョックの顔を作りかったです。鋭くて、全くやすらぎのない乾いた顔ですね」
そのためだろう。スクリーンで会ったイ・ソンジェは怒りと毒気、疏外された悲しみと閉じこめられた者の孤独まで合わせたチ・ガンヒョックに完全に重ねられていた。
「新人の時でした。テレビドラマ『嘘』(1988)に出演するとき、脚本家のノ・ヒギョン氏がメッセージを1つくれたんです」そこにはそのものになれという言葉が書かれていた。
その時のイ・ソンジェの演技のスタイルは違った。「配役の社会的条件、肉体的条件を1つ1つ計算した後、自分を無理やりはめこんで合わせようと思っていたんです」
最近「なりきる」という意味がわかったと言う。「もう無理やりにしません。そのまま自分を無にします。無にした分、配役と1つになります。ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノも100%配役と1つになることはできません。少しは常に自分が残っています」
それが俳優の宿題と言う。それで彼の財布にはいつもそのメモが入っている。映画『ホリデー』と実際「チ・ガンホン事件」の間には少し距離がある。骨組みは実話だが、映画にはフィクションの部分が肉付けされている。
脱走犯を追う刑務所副所長(チェ・ミンス)と延喜(ヨンヒ)洞の前職大統領邸宅襲撃などはすべて映画のためのフィクションだ。もう1つ。人質劇当時、チ・ガンヒョクの要求した音楽はビージーズの『ホリデイ』だった。しかし警察が実際持ってきたテープは、スコーピオンズの『ホリデイ』だった。
イ・ソンジェは「皮肉にもチ・ガンホンは結局望んだ曲を聞くことができなかったまま死んだのだ」と言った。代わりに映画ではドラマチックな設定などからビージーズの『ホリデイ』が流れる。
イ・ソンジェは「全北群山(チョンブク・グンサン)で8泊9日間撮影した最後の人質劇の場面がいちばん大変だった」と述べた。死の直前に作るチ・ガンホンの表情がその理由だ。「どんな表情だろう、どんな表情だろう。何度となく悩みました」そうして偶然、新聞を見ていて答えを見つけた。それは焦点の合っていないぽかんとした目つきだ。
「生に対してくたびれた者、極度に絶望した者が送る目。イ・ソンジェはそれで撮った。「最後の撮影があった日、夜明けに起きて1人で走りました。体が疲れ切った状態で撮影したかったんです。それで初めてその目が作れると思ったからです」実際、彼は人質劇の場面を撮った後、すぐ倒れてしまったそうだ。
すべての撮影が終わった2日後だった。「朝、起きて走るんですが、涙が出ますね。それまで演じてきた「チ・ガンホン」という人物のせいです。本当にむなしく、本当に悲しいです。付き合った恋人と別れるときでさえそんなことなかったのに」
『公共の敵』で殺人魔役を演じた後、イ・ソンジェには広告出演オファーがなくなった。見方によっては俳優には致命的なことだ。しかし彼は今回も脱獄者役をいとわなかった。
「ハリウッド俳優たちの高額なギャランティーや巨大製作コストは少しもうらましいと思いません。代わりに『ザ・ロック』のショーン・コネリーはうらましいですね。白髪を振り乱しながら演技する70代俳優。私もその年齢にムン・グニョンのような20代の女優と恋愛ものや、アクションものなど撮影できればいいなと思います。そのときには、本物の俳優の顔をもっているでしょう」
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