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【噴水台】松花江



間島は懐かしい名前だ。 おぼろげな韓民族の精神的故郷である。 女真族が清を建てた後、女真族の発祥地だとし、移住と接近を防いだ所だ。 朝鮮(チョソン、1392~1910)と清の間に挟まれた島の形の無人地帯ということから名前も間島とされた。 歴史の本を開けてみると、ここは女真族よりはるかに先に扶餘が占めていた所だ。 高句麗(B.C.37~A.D.668)を建てた朱蒙(ジュモン、B.C.58~B.C.19)も、ここから渡ってきた。 いまでも吉林省と黒竜江省の広い平野では、慶尚南道・伽耶(キョンサンナムド・カヤ)地域と全く同じ青銅の釜が発掘される。 古朝鮮、勃海を経て、間島は韓民族が3300年間にわたって支配した地だ。


長さ1960キロの松花江は、白頭山(ぺクドゥサン)の天池(チョンジ)にその源を発し、東北平原をくるくると回る。 吉林省と黒竜江省を濡らして、ロシア・アムール川に合流した後、東海(トンへ、日本名・日本海)に抜け出る。 松花江は韓国歴史の母なる川だ。 高句麗・東明王(朱蒙)の神話に出てくる水神、河伯(ハベク、朱蒙の祖父)がそこに住んでいた。 彼の血筋を引いた朱蒙は、亀に助けられて松花江を渡り、高句麗を創建した。 河の名称も高句麗当時「天河(支流が多く大きな川)」という満州語の「松阿里鳥喇(スンガリ・ウラー、sunggariula)」に由来した。 そのためか巴人・金東煥(パイン、キム・ドンファン)の詩『松花江の舟歌』は懐かしさで一杯だ。 「...雲ばかり揺らされるのではない/私の心も揺らされる/振り返ってみると故国は千里のところか...」。


松花江は、いまでも生きている領土紛争の火種だ。 その上流の細い河川の名前をめぐって、韓国と中国の立場が分かれる。 1712年、朝鮮と清は「鴨緑江(アムノッカン)と土門江を境界とする」という「白頭山定界碑」を立てた。 その土門江が、豆満江か、松花江上流の支流の名前か次第で、韓国の領土が変わる。

松花江が先週からベンゼンによる汚染に苦しめられている。 石油化学工場の爆発で松花江に途方もないベンゼンが流入したのだ。 基準値の108倍にのぼる長さ80キロのベンゼン汚染物質の帯が、氷の下から北上している。 氷点下20度まで落ち、河川が凍りついたおかげで、川の流れは鈍くならざるを得ない。 来春、河川が解けるまで安心できない、という専門家らも多い。

松花江周辺の丘には、とりわけ墓が多い。火葬を原則とする中国の他の地方とは異なって、少数民族の朝鮮族には埋葬と墳墓を許したからだ。 河川に沿って出てくる延吉、竜井、青山里、海蘭江などの地名はいずれも馴染みがある。 安寿吉(アン・スギル)の長編小説『北間島』や朴景利(パク・キョンリ)の『土地』を通じて馴染んだ名前だ。 そうした松花江が痛んでいるというから、われわれの気持ちも痛む。



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