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米軍装甲車れき殺事件の遺族と米兵、和解の稲刈り

18日の京畿道楊州市広積面(キョンギド・ヤンジュシ・クァンジョクミョン)。 田んぼはすっかり黄色くなっているが、稲はほとんどが倒れた状態だった。 9月初めにこの地域を暴雨と強風が襲ったからだ。 にもかかわらず、稲はよく実っていた。

この田んぼに軍作業服、トレーニングウエア姿の若者が集まり、慣れない手つきで稲狩りを手伝った。 汗を流しながら倒れた稲を一つずつ手作業で収穫する若者は、国軍将兵17人と駐韓米第2師団所属の男女米兵23人だ。

農民と韓米将兵は一列に並んで収穫物を運んだ。 初めて収穫鎌を握った一部の米兵らは、現場で農民と韓国軍から稲を刈る技術を習った。 彼らはコンバインなど農機具なしに手作業で収穫した。


02年6月に米軍軌道車両の犠牲になった女子中学生シン・ヒョスンさん(当時14歳)の親の田んぼで、付近の陸軍第1軍団工兵部隊と米第2師団所属の将兵が稲刈りを助けている姿だ。

韓米将兵はこの日午前9時から午後5時まで、シンさんが所有する田んぼ1000坪の収穫に汗を流した。 また進入路が狭くて農機具が入らない所、稲が倒れた周辺の田んぼ2000坪余でも収穫を手伝った。

軍人らの対民間支援を受けたヒョスンさんの父シン・ヒョンスさん(52)と村の住民らは、この日午前10時30分ごろ、国軍・米軍将兵らと豚肉や豆腐、マッコルリ(どぶろく)などで一緒に食事をした。 シンさんは「稲が倒れて機械が使えず、手作業で収穫するしかなかった。稲刈りを手伝ってくれた国軍・米軍に感謝したい」と語った。

またヒョスンさんとともに犠牲になったシム・ミソンさん(当時14歳)の父シム・スボさん(52)は「事故にあった女子中学生の遺族を忘れず、隣人愛を実践してくれた米兵に感謝する」と述べた。

ヒョスンさんとミソンさんは02年6月13日午前10時45分ごろ、楊州市広積面の56番地方道で、米第2師団工兵隊所属の軌道車両に引かれて死亡した。



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