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【噴水台】世宗の改革

世宗(セジョン、朝鮮時代の第4代王)は、聖君と言われる。 そのため、世宗の「やさしい」お言葉ならば、万事順調に、水が流れるように運ばれただろう、と想像してしまう。 そうした世宗が改革に頭を悩ませたとすれば、意外だろうが、事実だ。 税制の改革に、およそ17もかかった。

世宗が即位した当時、租税は「踏験損失法」(朝鮮初期の税率規定法)に基づいていた。 収穫の10分の1を納めるものの、調査官が豊凶を踏まえ、金額を調整した。 ところが、調査官の奸計で、農民は非常に苦労し、国庫の収入は減った。 世宗は、改革を望んだ。 平年の平均収穫の一定量を納める貢法を代案として出した。 先代から安定した政治基盤を譲り受けた世宗が、やろうと思えば十分できた。 しかし、王は、志を立てて実行するまで、32年という在位期間の半ばをすぎるまで、悩みに悩んだ。

即位から9年、1427年に議論が開始され、翌年、黄喜(ファン・ヒ)政丞(チョンスン、朝鮮時代の大臣)が、貢法の導入時に生じ得る問題を調べる段階にまで進んだ。 しかし、反応が曖昧になると、世宗はいったん退いた。 それから、1429年11月、再び戸曹(ホジョ、大蔵省にあたる)に「臣民の考えを調べるように」と命じた。 4カ月後にあった報告に満足できなかった世宗は、全国にわたる世論調査を命じた。 当時としては、大した発想だった。


1カ月にわたって、官吏・民など約17万人の意見を聴取した。 賛成9万8657人、反対7万4149人。 賛成が多かったが、王はもう少し考えた。 収穫の多い南方では賛成が、少ない北方では反対が、多いのが気になった。 慶尚道(キョンサンド)では賛成が3万6262人で、反対(377人)を圧倒した。 反対に、平安道(ピョンアンド)では反対(2万8474人)が賛成(1326人)を圧倒した。王は、実行の無期延期を決めた。

議論は、1436年に再開され、改革担当機構も設けられた。 しかし、調整意見が食い違い、再び留保された。 貢法は、在位から26年の1444年に確定され、それ以降、朝鮮(チョソン、1392~1910)の税制の枠組みとなった。 先週、政府の主催で開催されたセミナー「先祖から習う革新リーダーシップ」で発表された「世宗の税制改革の過程にあらわれた革新リーダーシップ」の内容だ。 発表文の結論は「世宗の政治は『賛否意見が大きく分かれる場合、適切な過程を経なければ改革が成功できない』との点を示すもの」だということだ。

「改革の名」のもと、韓国社会の一角は、敏感な懸案に対し、迅速かつ果敢な決定を求めている。 しかし、世宗は、改革の他の面を見せてくれる。 王朝時代だったにもかかわらず、説得と統合を重視した王の革新リーダーシップは、「改革は、時には忍耐と共にするもの」であることを示唆する。 短い呼吸の改革は失敗し得る、という「逆の教訓」とともに。





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