ピュロスはローマとの決戦を前にして、イタリア半島ギリシャ都市国家タレントゥムの傭兵として招へいされた。彼は2万人余りの兵士と20頭の象を率いて地中海を渡り、ローマ軍を迎えた。当時ローマはイタリア半島統一に乗り出し、勢いある新生国だった。理論と経験を兼ね備えたピュロスは二度にわたりローマ軍を退けた。初めての戦闘は広い地形で繰り広げられ、象を動員した側面攻略でピュロスが大勝を収めた。ピュロスは象を現代のタンクのように活用する名手であり、ローマ人はこのとき象を初めて目にした。ローマ軍はこれを教訓に、2度目の戦闘では狭い地形で死闘を繰り広げた。双方の死者は1万人に達した。ピュロスの部下の総帥らも数人犠牲になった。
ついにローマ兵らが退却し、ピュロスの兵士らが歓呼した。しかしピュロスは力なく側近にこう話したという。「勝つのもよいが、こういう勝利をまた収めては我々も滅びる」と。実際にピュロスは3度目の戦争でローマ軍に敗れ、弱まった兵力を連れて帰国した直後、スパルタとの戦いで戦死した。その後「ピュロスの勝利」は「戦果がない勝利」「傷だらけの栄光」と同意語になった。
ついにローマ兵らが退却し、ピュロスの兵士らが歓呼した。しかしピュロスは力なく側近にこう話したという。「勝つのもよいが、こういう勝利をまた収めては我々も滅びる」と。実際にピュロスは3度目の戦争でローマ軍に敗れ、弱まった兵力を連れて帰国した直後、スパルタとの戦いで戦死した。その後「ピュロスの勝利」は「戦果がない勝利」「傷だらけの栄光」と同意語になった。
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