過剰債務で身動きのとれない企業を再建するための最後のカードとして日本政府がつくった株式会社、産業再生機構(東京都、斉藤惇社長)が店開きした。問題企業の不良債権を金融機関から買い取り、処分して、その企業の経営資源を再び活性化し、立ち直らせる商売である。そのための軍資金として国庫から10兆円を任されている。産業再生機構は5年後に店を畳む。短期間の決選であるわけだ。
ここには、80人ほどの各分野の専門家らが集まっている。弁護士、会計士、経営コンサルタント、証券アナリスト、ファンド運営などの専門職。大半が30代から40代前半の人々だ。最高業務執行責任者(COO)の富山和彦専務は43歳だ。弁護士だが、スタンフォード大でMBA(経営学修士)を取得し、ボストンコンサルティンググループで勤めた後、自らコンサルタント会社を設立した起業家だ。
富山氏は、この組織について次のように話した。「集団の中で個人を埋没させないようにしたい。日本的なプロフェッショナル集団、良い意味でのエリートを目指す」。「今後、日本は健全なエリート層を作る必要がある。戦後に平等主義が広がり、日本はエリートを失ってしまった」。富山氏は、日本で30代から40代前半の「新人類」と呼ばれる層から、エリートが生まれるものとみている。確かに産業再生機構には、各界の先頭走者らが参加している。
松岡真宏氏もその一人だ。35歳だ。外資系企業の流通業専門証券アナリストとして有名だ。同氏は話す。「外資系証券会社で10年間にわたって勤めた。私より年上の日本人が、外国人にバカにされたのを何度も見てきた。日本だってちゃんと自力で立ち直るというところを今回見せてやりたい」。だが、松岡氏の前を遮っている壁がある。「団塊の世代」(第二次大戦直後数年間のベビーブーム時に生まれた世代)だ。
「不良債権の処理を加速化し、日本経済を回生させるためには、団塊の世代を退かせなければならない」と、松岡氏は話した。日本企業で管理職の中枢を成している団塊の世代を退かせて、指導部を若い人に入れ替えなければならないというのだ。
日本では1946年から50年まで1000万人以上が生まれた。わずか5年間で、総人口の10%が誕生したのだ。これらベビーブーム世代らは、戦後の日本社会で、変動の大勢力になってきた。1960年代末から1970年代前半まで、それらは官吏社会に対する抗議運動を行った。親に食ってかかり、大学を占拠し、教師を糾弾した。ライバル集団とは武装闘争を繰り広げ、メディアを利用し大衆に訴えた。
そうした、それらが、いま官僚組織と企業で主要ポストを占めている。しかし、日本がそれらの暗うつな未来像を感じはじめたのは1990年代からだ。1994年には『団塊の世代が国を滅ぼす』(団塊問題研究会)という本が出版されたりもした。
日本経済のガンになった金融機関の経営管理職は、この団塊の世代が占めている。それらは、産業再生機構の処理計画に間違いなく抵抗するだろう。厳しい処理を行うほど、それらの居場所がなくなるからだ。
銀行を、日本を、団塊の世代に任せておいてはならない。それらを退かせなければならない。これが、松岡氏の「団塊を退かせよう」論である。「それらは、戦前と異なった教育を受けた最初の世代だ。それらは、米国について表向きには『けしからん』『覇権反対』といいながらも、実際には米国に同化し、米国の世界観、なかでも直線的かつ単線的な発展観を受け入れた。劣等感の発露だ」。産業再生機構の成功の決め手は、銀行に債権処理を促すことが本当に可能かどうかだ。これから、大きな戦いが始まるだろう。
しかし、この戦いは、新人類の世代と団塊の世代との戦いになるだろう。これは、緊縮財政と高齢化とともに今後激しく展開されるはずの、日本の世代間の対立と抗争の一端であるだけだ。富山氏は「現在の日本には、戦後の総決算が求められている」と話した。
同時に愛国心の大切さも強調した。それらは、偏狭な民族主義者ではない。松岡氏は「新しい教科書を作る会」などの動きには違和感を感じているとも話した。第二次大戦前の日本を美化しようとする運動についての批判だ。
日本の新人類世代は1990年代の「なくした10年」を抜け出す過程で、日本の回生に向けた最も勇気ある挑戦者として登場しつつある。健全なエリートらは、健全な民族主義者でもあるようだ。
ここには、80人ほどの各分野の専門家らが集まっている。弁護士、会計士、経営コンサルタント、証券アナリスト、ファンド運営などの専門職。大半が30代から40代前半の人々だ。最高業務執行責任者(COO)の富山和彦専務は43歳だ。弁護士だが、スタンフォード大でMBA(経営学修士)を取得し、ボストンコンサルティンググループで勤めた後、自らコンサルタント会社を設立した起業家だ。
富山氏は、この組織について次のように話した。「集団の中で個人を埋没させないようにしたい。日本的なプロフェッショナル集団、良い意味でのエリートを目指す」。「今後、日本は健全なエリート層を作る必要がある。戦後に平等主義が広がり、日本はエリートを失ってしまった」。富山氏は、日本で30代から40代前半の「新人類」と呼ばれる層から、エリートが生まれるものとみている。確かに産業再生機構には、各界の先頭走者らが参加している。
松岡真宏氏もその一人だ。35歳だ。外資系企業の流通業専門証券アナリストとして有名だ。同氏は話す。「外資系証券会社で10年間にわたって勤めた。私より年上の日本人が、外国人にバカにされたのを何度も見てきた。日本だってちゃんと自力で立ち直るというところを今回見せてやりたい」。だが、松岡氏の前を遮っている壁がある。「団塊の世代」(第二次大戦直後数年間のベビーブーム時に生まれた世代)だ。
「不良債権の処理を加速化し、日本経済を回生させるためには、団塊の世代を退かせなければならない」と、松岡氏は話した。日本企業で管理職の中枢を成している団塊の世代を退かせて、指導部を若い人に入れ替えなければならないというのだ。
日本では1946年から50年まで1000万人以上が生まれた。わずか5年間で、総人口の10%が誕生したのだ。これらベビーブーム世代らは、戦後の日本社会で、変動の大勢力になってきた。1960年代末から1970年代前半まで、それらは官吏社会に対する抗議運動を行った。親に食ってかかり、大学を占拠し、教師を糾弾した。ライバル集団とは武装闘争を繰り広げ、メディアを利用し大衆に訴えた。
そうした、それらが、いま官僚組織と企業で主要ポストを占めている。しかし、日本がそれらの暗うつな未来像を感じはじめたのは1990年代からだ。1994年には『団塊の世代が国を滅ぼす』(団塊問題研究会)という本が出版されたりもした。
日本経済のガンになった金融機関の経営管理職は、この団塊の世代が占めている。それらは、産業再生機構の処理計画に間違いなく抵抗するだろう。厳しい処理を行うほど、それらの居場所がなくなるからだ。
銀行を、日本を、団塊の世代に任せておいてはならない。それらを退かせなければならない。これが、松岡氏の「団塊を退かせよう」論である。「それらは、戦前と異なった教育を受けた最初の世代だ。それらは、米国について表向きには『けしからん』『覇権反対』といいながらも、実際には米国に同化し、米国の世界観、なかでも直線的かつ単線的な発展観を受け入れた。劣等感の発露だ」。産業再生機構の成功の決め手は、銀行に債権処理を促すことが本当に可能かどうかだ。これから、大きな戦いが始まるだろう。
しかし、この戦いは、新人類の世代と団塊の世代との戦いになるだろう。これは、緊縮財政と高齢化とともに今後激しく展開されるはずの、日本の世代間の対立と抗争の一端であるだけだ。富山氏は「現在の日本には、戦後の総決算が求められている」と話した。
同時に愛国心の大切さも強調した。それらは、偏狭な民族主義者ではない。松岡氏は「新しい教科書を作る会」などの動きには違和感を感じているとも話した。第二次大戦前の日本を美化しようとする運動についての批判だ。
日本の新人類世代は1990年代の「なくした10年」を抜け出す過程で、日本の回生に向けた最も勇気ある挑戦者として登場しつつある。健全なエリートらは、健全な民族主義者でもあるようだ。
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