中央SUNDAY
歴史には怒りによって冷静な理性を投げ捨てた外交事例が少なくない。1870年、フランスはプロイセンに対しスペイン王位継承を断念するよう要求した。当時のプロイセンの首相ビスマルクは、国王とフランス大使との穏やかな会話の記録を悪意をもって編集した。大使が国王に無礼な要求を押しつけ、国王は大使と会うのを拒否し、彼を追い払わせたかのように仕立てたのだ。この会話記録をメディアにも流した。極めて重大な外交上の非礼であり、悪質なメディア操作だった。
この「エムス電報(Ems Telegram)」事件によってフランス全土は「国家の名誉が侮辱された」と激怒した。しかし本当の破局はビスマルクの策略ではなく、怒りに目がくらんで罠にはまったフランスの致命的な判断ミスから生じた。フランスは軍事的な準備状況や外交情勢などを慎重に検討することなく、先に宣戦布告した。その代償は過酷なものだった。セダンの戦いでの惨敗、皇帝の捕虜転落はフランス第二帝政の崩壊へとつながった。ベルサイユ宮殿の鏡の間ではドイツ帝国が宣言された。
「恋愛と戦争においてはすべてが正当化される(All is fair in love and war)」という西洋の古くからの格言がある。差し迫った状況では通常の道徳や礼儀、規則に従わなくてもよいという意味だ。国連総会での演説で北朝鮮兵捕虜2人の韓国送還を電撃的に発表したウクライナのゼレンスキー大統領もこの格言を思い出したのかもしれない。戦時下の指導者にとって北朝鮮兵送還に関する非公開合意という外交上のエチケットはぜいたくなものだったのか。
もちろん、この非情な格言でさえ「敵を欺くための策略」を意味するにすぎず、友好国との約束を破ることに免罪符を与えるものではない。それは明白な外交上の非礼だった。しかし韓国政府の対応には、150年余り前にエムス電報を受けたフランスの姿が重なって見える。相手の非礼に怒り、正面衝突も辞さない姿勢は、プライドを守ることはできても国益を守る現実主義とは言いがたい。
この問題は、韓国大使の召還と一部の公館職員の撤収という前例のない外交的波紋へと発展した。両国の感情的な対立の中で打開策を見いだすには、ウクライナとポーランドが経験した外交対立の収拾過程に注目する必要がある。今年、ゼレンスキー大統領が特殊作戦部隊に「UPAの英雄たち」という名誉称号を授与すると、両国は衝突した。UPAは、第二次世界大戦当時にポーランド人10万人を虐殺した戦争犯罪組織だ。激怒したポーランドは、ゼレンスキー大統領に授与していた白鷲勲章を剥奪し、ゼレンスキー大統領も勲章の返還で対抗した。
しかし両国は感情を抑えて破局には至らなかった。「両国の分裂で得をするのはプーチンだけ」という厳しい安全保障上の現実を直視したのだ。両国は西側諸国の仲介と外交ルートを通じて「歴史葛藤」と、差し迫った「安保連帯」を徹底的に分離(de-coupling)した。ウクライナはポーランドが求めていた遺骨発掘への協力など実質的な譲歩を打ち出した。ポーランドも対ロシア支援の拠点としての役割を滞りなく維持し、実用的な出口を開いた。
韓国政府もポーランドのように謝罪問題とその他の実質的な問題を切り離して実用的な出口戦略を模索しなければいけない。戦時下のリーダーシップや国内外への広報を重視するウクライナ指導部の特性を考えると、公開謝罪の可能性は極めて低い。韓国は非公開合意違反については「公開謝罪」の代わりに「適切な水準の謝罪(遺憾)」を受け入れ、人道支援や戦後復興協力、今後追加で得られる北朝鮮兵捕虜情報の非公開共有保証、対北情報協力の制度化など大きな枠組みでの連帯を維持する柔軟な二本立ての外交が必要だ。
相手の非礼に怒るのは当然だが、プライドは外交の羅針盤にならない。ワイングラスが割れても食卓をひっくり返してはならない。ポーランドがウクライナとの対立を収拾した方法のように、怒りを抑えて冷静な理性に基づく現実主義を貫くべきだ。それがエムスの影を消して国益を守る道だ。
権奇昌(クォン・ギチャン)/元駐ウクライナ大使
この記事を読んで…