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【コラム】FRBの独立、75年ぶり試験台に立つ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

米連邦準備制度理事会。ロイター=聯合ニュース

1950年上半期の米国経済は戦争の後遺症を完全に振り払うかのようだった。経済成長率は14%に達したが物価はむしろ下落する理想的な状況を作り出した。だが同年6月に勃発した韓国戦争(朝鮮戦争)で平穏はあっという間に崩された。

第3次世界大戦の可能性に米国の家計はパニックに陥った。砂糖、ナイロン、缶詰、牛肉など生活必需品の配給制を心配した消費者は買い占めに出て、企業も産業原材料を先を争って確保した。


戦争直前に130億ドルだった国防予算も73%急増した。経済全般で総需要が急激に増加すると、安定していた物価は一気に8%以上急騰した。物価安定の責任を負う米連邦準備制度理事会(FRB)もパニックとなった。


FRBは物価急騰を懸念するが身動きが取れなかった。第2次世界大戦当時に戦費調達に向け導入した国債利回り固定制が続いていたためだ。国債利回りは短期0.375%、長期2.5%を上限に縛られていた。

国債需要が減って金利が上昇圧力を受ければFRBは発券力を動員して無制限に国債を買い入れなければならなかった。財務省が発行した国債のうち市場で消化されなかった分もそのままFRBが引き受けなくてはならなかった。物価急騰にも金利をコントロールできないとFRB内外で不満が積もっていった。

FRBが公開的に金利固定の弊害を指摘し、トルーマン大統領は1951年1月末にFRB政策委員全員をホワイトハウスに呼んだ。前例のない大統領との直接対面を通じてFRBの反発を抑えようとする試みだった。

世論がすでに背を向けた後だった。人為的低金利が庶民の犠牲の上に銀行の腹だけ膨れるという認識が広がり、結局議会と世論の十字砲火を浴びたマッカーベ議長が辞任した。

同年3月にFRBと財務省は通貨と財政政策の役割を分離することで合意した。FRBは金利調整を通じて物価を安定させる通貨政策の独立性を取り戻し、マーティン新議長は先制的な金利引き上げでインフレをとらえた。

「財務省は通貨政策に介入せずFRBは政府の負債を代わりに返さない」というこの75年にわたる原則がいま揺らいでいる。5月に就任したウォーシュ議長はFRBの資産保有規模を決める際に財務省との協議が必要だと主張してきた。

実際に財務省は日本と組んで外国為替市場に介入する一方、長期金利安定に向け国債を買い入れ過去にFRBの領域だった部分に足を踏み入れている。市場はなかなか鈍化しない市中金利でFRB独立の必要性を自ら証明してみせているところだ。

FRBの独立性をめぐる議論と歴史の繰り返しの有無を離れ、ひとつ明らかなことがある。金利を政治に任せた時、市場は代償を払う。

キム・ソンジェ/米ファーマン大学経営学教授



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