15日、第81周年光復節慶祝式で「韓半島の不安定な停戦体制を平和体制に変える旅程に入る」という内容の祝辞を述べた李在明(イ・ジェミョン)大統領 [聯合ニュース]
平和体制を最も真剣に取り上げた時期は、金大中(キム・デジュン)政権の「韓半島冷戦構造解体構想」と、米クリントン政権の「ペリー・プロセス」が機能していた時期だ。2000年10月12日に採択された朝米共同コミュニケは「停戦協定を強固な平和保障体制に転換し、朝鮮戦争を公式に終結させるためには4者会談などさまざまな方法がある」と明記した。しかし米同時多発テロ後、ジョージ・W・ブッシュ政権が北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」と規定し、対テロ戦争を遂行する中で平和体制の構築問題はうやむやになった。
◆何度も挫折した平和協定締結の試み
平和協定の締結が難航する中、代わりに登場したのが終戦宣言だった。停戦体制が長期化する中、短期間で平和協定を締結するのは容易でないと判断し、平和協定に入るための入り口、あるいはその前段階として戦争を終結させる政治宣言をしようということだ。終戦宣言は、2006年11月にベトナム・ハノイで開かれた韓米首脳会談でブッシュ大統領が「北朝鮮の核問題が解決すれば、北朝鮮と安全保障協定に署名する用意がある」と表明した後、「安全保障協定、平和協定、終戦宣言、戦争終結などの用語を、特に概念を区別することなく混用」して使ったことから始まった(ソン・ミンスン『氷河は動く』)。ブッシュ大統領が提起した終戦宣言に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が意味を与えて「政治宣言」として公式化し、金正日(キム・ジョンイル)総書記が10・4宣言にこれを盛り込もうと提案したことで南北合意として残った。しかし南北は南・北・米の3者、あるいは南・北・米・中の4者が参加する終戦宣言(2007年10・4宣言、2018年4・27板門店宣言)を推進したものの、結局、実現しなかった。
冷戦時代、韓国と米国は北朝鮮による平和協定の主張を、韓米軍の撤退を狙った偽装平和攻勢と認識して無視した。北朝鮮が核開発を本格化させて以降は、韓米が完全な非核化に力を注いだため、平和協定締結の問題は後回しにされた。
板門店(パンムンジョム)宣言で南北が終戦宣言の推進に合意し、その後のシンガポール米朝首脳会談でも南・北・米3カ国による終戦宣言を推進したが、実を結ばなかった。当時、韓米は終戦宣言の文案まで調整し、詳細な協議を進めていたが、ジョン・ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官ら米ホワイトハウスの側近や、安倍晋三首相の強い反対があったからだ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「ボルトンのような側近グループは、終戦宣言をすれば国連軍司令部を解体し、在韓米軍撤退の圧力を受けるとして、トランプの足を引っ張った」と回顧している。(文在寅『辺境から中心へ』)。
朝米は2018年のシンガポール共同声明で、新たな関係を構築するため韓半島の平和体制を構築し、完全な非核化を実現することで合意した。これは、米国が従来の「先に非核化」という立場から後退し、平和体制と非核化を「安保対安保」の交換という枠組みで扱おうとした点で、北朝鮮の要求が反映されたものだった。しかし、ハノイで開かれた第2回朝米首脳会談が決裂した後、北朝鮮が核戦力の高度化に乗り出したことで、終戦宣言と平和体制構築に関する議論は後回しになった。ハノイでの合意不成立後、文大統領が2019年9月の国連総会演説で再び終戦宣言を提案したものの、北朝鮮は呼応しなかった。北朝鮮が南北関係を断絶し「敵対的な二つの国家」を主張するとともに、核保有から「絶対に退かない」姿勢を宣言したことで、終戦宣言の推進も勢いを失った。
【韓半島平和ウォッチ】4者会談の教訓…米中の決断を引き出す精密な戦略が急がれる(2)
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