京畿道漣川の台風(テプン)展望台から望むベティ高地。3重の鉄柵と戦術道路が鮮明に見える。ベティ高地は1953年の停戦協定に基づき、軍事境界線(MDL)の北側地域に指定された。ベティ高地のすぐ前を臨津江が流れ、この区間では臨津江がMDLとなる。丘から土砂が崩れ落ちた痕跡は、北朝鮮軍が先月中旬、資材を調達するため爆破したことで生じた。 [読者提供]
先月30日、京畿道漣川郡(ヨンチョングン)の台風(テプン)展望台から見下ろした、北朝鮮の休戦ライン国境線化の現場だ。台風展望台は安保観光を目的に民間人に開放されている。このような展望台は11カ所あるが、このうち台風展望台が北朝鮮に最も近い。ここから軍事境界線(MDL・休戦ライン)までの距離は短いところで800メートルであり、最も近い北朝鮮の警戒所(GP)までは1600メートルだ。
1953年7月27日に停戦協定が発効した後、南北間にMDL(軍事境界線)が引かれた。京畿道坡州(パジュ)の臨津江河口から江原道高城(コソン)の東海岸にかけて200メートル間隔で1292個の標識が設置され、これを仮想的に結んだ線がMDLだ。MDLの北側と南側にそれぞれ2キロの距離を置いて北方限界線(NBL)と南方限界線(SBL)がある。この2つの線が事実上の国境の役割をしている。この2つの線の間がバッファーゾーン(緩衝地帯)の非武装地帯(DMZ)だ。
北朝鮮は2023年12月30日に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が南北関係を「敵対的な二つの国家」と規定した後、2024年4月から「休戦ラインの国境線化」作業に入った。MDL周辺の草木を刈り、地雷を埋設した後、鉄条網を張り巡らせ、戦術道路を建設した。またNBL沿いに複数の対戦車障害物を設置した。このため休戦ラインの国境線化は「DMZの要塞化」と呼ばれている。
台風展望台の窓からは北朝鮮の3重の鉄条網が見える。鉄条網と隣り合った未舗装の道は戦術道路だ。停戦協定で指定されたNBLははるか北側にあり、丘で見えない。
展望台の前には臨津江が曲がりながら流れ、緩やかな丘が連なっている。これらの丘をめぐり韓国戦争(朝鮮戦争)当時には停戦直前まで激しい高地争奪戦が繰り広げられた。臨津江に接する標高120メートルのベティ高地がその一つだ。1953年7月15~16日、韓国軍の1個小隊が中国軍の3個大隊と戦って守り抜いたところだ。しかし停戦協定はベティ高地をMDLの以北地域に入れた。ベティ高地の正面では臨津江がMDLだ。
ベティ高地では土砂が崩れているところがある。先月中旬に北朝鮮軍が爆破したからだ。北朝鮮軍が工事に必要な資材を現場で調達しようとしたと推定される。装備を一時的に保管する仮設の建物も見えた。
先月30日には、現場で北朝鮮兵の姿が見られなかった。先月中旬の豪雨のためか、当時は作業を一時中断していたとみられる。最も多い時期には数十人が動員されたという。軍関係者は「昨年、DMZに投入された北側の兵は耳を綿でふさいだまま韓国軍の警告射撃に目もくれず作業を続けていた」とし「韓国軍の警告射撃を受けると、北の軍人はしばらく頭を下げた後、すぐに作業を再開した」と伝えた。
北朝鮮戦術道路、目の前まで南下…一部はMDLも越えた(2)
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