6日、ソウル松坡区(ソンパグ)オリンピック公園参政権デモに参加した青年が市民に配る太極旗を描いている。 ムン・ソヨン記者
手描きの太極旗を配っていた30代の会社員女性は「投票用紙不足事態は当選結果とは関係なくそれ自体が公正でない過程であり、深刻な参政権侵害」とし「個人の権利だけでなく、自由民主主義システムの問題であるため、黙っていられなかった」と話した。一緒に太極旗を描いていた人たちは「全員が今日初めて会った」と伝えた。オリンピック公園の市民が特定の組織と誤解されないよう、デモ屋のようなプラカードではなく、手描きの太極旗やスローガンが書かれた紙を持とうという雰囲気も現場やソーシャルメディアで自然に形成されたという。
1週間後の13日夜も20、30代の割合は高く、主導勢力がない雰囲気も似ていた。ある人は「オリンピック公園は1人デモの集合体」と書いた。かつて「社会に無関心な個人主義者」と見なされていた20、30代が社会に対して声を上げ始め、新しいデモ文化を見せている。
40、50代の間では「選挙管理委員会が大きな過ちを犯したのは事実だが、若者たちがここまで出てくるようなことなのか」と疑問を抱く人が少なくない。経済的な不満が爆発したという分析もある。一理あるのかもしれないが、それだけでは説明がつかない。若者は問題の重みを現在の主流の上の世代とは異なる感性で判断しているのだ。
◆再選挙賛成、20代67%、30代62%
12日のギャラップ世論調査で、6・3地方選挙の全面再選挙に対する賛否は44%対48%だったが、20代と30代の賛成はそれぞれ67%、62%にのぼった。一方で40代と50代は36%、38%にとどまった。保守層と見なされる70代以上は34%とさらに低かった。すなわち、20、30代の再選挙の主張は単なる「保守化」や「右傾化」ではない。自由と公正に対し、これまでのどの世代よりも敏感な新しい世代の出現を意味する。
「86運動圏世代(1980年代に学生運動を主導した50、60代)」にとって「自由」とは軍事独裁に抵抗する集団的な概念であり、その枠組みの中では個人の自由よりも民族・民衆が優先されるケースが多かった。「X世代」は欧米の自由主義に比較的慣れていたが、歴史・社会問題においては86世代の感性や陣営論理に従うことが少なくなかった。対照的に現在の20、30代はその陣営論理による選択的な憤怒を拒絶し、参政権に代表される個人の権利と自由を何よりも重視する。
20、30代にとって参政権とは「自分の生活と自由を規律する制度や法の行方を決める権利」であり、投票はその権利を行使するほぼ唯一の方法だ。だからこそ自分の一票が消えてしまうことは深刻な問題となる。しかし政府・与党と彼らの主力支持層の40、50代はこの問題には鈍感に反応する。その一方で、スターバックスの「タンクデー」論争には大統領までが乗り出して過剰なまでに激しく憤怒を表出したと20、30代は感じている。若者の間で流行している「スタバ以下の参政権」という表現はまさにこれを反映したものだ。
大統領による公開叱責に続き、行政安全部などの政府省庁が不買宣言をし、与党幹部も同調するなど、私企業のスターバックスを激しく攻撃する一方で、民主主義の根幹を損なう恐れのある投票用紙不足事態には慎重な言動に終始しているような姿が、20、30代の公正な感覚に触れたのだ。
もちろんスターバックスの問題は歴史的な傷に配慮を欠いたマーケティングだった。しかしその是非の判断は消費者がすればよいことだった。一方、投票用紙不足を含む総体的な選挙管理問題は、選挙管理委員会という重要な国家機関のシステムが市民の投票権をまともに保障できなかった事態だ。
大統領の憤怒がより迅速に、そして激しく向けられるべきところは、スターバックスよりも選挙管理問題だったのではないだろうか。しかし、現実は逆だった。大統領は「タンクデー」論争の当日夜、ソーシャルメディアX(旧ツイッター)に「低俗な商売人の非人間的な形態」と投稿し、その後も数回にわたり激しく批判した。その一方で投票用紙事態に対しては、4日後の6月7日になってようやくXに「節制された」言葉で遺憾の意を表した。
「スタバの逆風」が6・3地方選挙に一定の影響を与えた形跡は各種SNSで確認されている。「コーヒー1杯の自由もないのか」という反発がソーシャルメディアに少なからず投稿された。タンクデーのマーケティングに批判的だった若者がしだいに「政治権力が私企業や消費者の選択まで検閲して訓戒している」と感じ始めたと見ることができる。「スタバ以下の参政権」という表現は育児コミュニティサイトにまで拡散した。こうした心理が地方選挙最大の激戦地ソウルに表れた20、30代女性の民主党離れに影響を与えたと見ている。
こうした状況の中で投票用紙不足事態まで発生した。オリンピック公園で会った20代の男子大学生は「投票できなかったり、投票手続きに重大な障害が生じたりしたのなら、それ自体が不公正だ」とし「こうしたことが再発すれば自由民主主義そのものが脅かされると思ってここに来た」と話した。
このためソーシャルメディアでこのデモを「蚕室(チャムシル)民主化運動」と呼ぶ若者も多い。すでに80年代の抗争で民主化は達成されたのに何を言っているのかという40、50代も多いだろう。しかしなぜ若者が敢えてそのような言葉を選んだのか考える必要がある。若者にとって民主化はもはや特定世代の勲章ではない。投票権を行使できなかった人の権利を問い、国家機関の手続きを疑う自由を要求することも民主主義運動だと信じているからだ。一言で、「私たちも民主主義を知っている。教え込もうとするな」ということだ。
◆87体制の道徳・感受性を拒否する世代
ソウル大学言論情報学科のキム・ウンミ教授は「今回の(選挙管理)問題は左派・右派を問わず全員が立ち上がるべき、あまりにもあきれることだ。若者に『なぜ怒るのか』または『なぜこの問題だけに怒るのか』と問うこと自体がむしろ彼らを失望させる」と指摘した。さらに「AI(人工知能)による経済構造の変化などで親の世代よりも機会の門が狭まった最初の世代であるうえ、定年延長などの制度変更までもが若者世代に不利に展開している。そのような現実に声を出すことができる数少ない有力な方法の投票権、つまり『最後の砦』を奪われたと感じて、さらに憤怒しているようだ」と説明した。
「スタバ以下の参政権」という言葉は、20、30代がもはや86運動圏世代やX世代の歴史的な感性、そして「何に憤怒し、何を重視するべきか」という彼らの判断や基準には従わないという宣言である。私たちは今、「87年体制(1987年の民主化により確立された政治・社会秩序)」が作った道徳と感性の権威が、若者世代に初めて機能しなくなったという歴史の1ページを目撃しているのかもしれない。
ムン・ソヨン/論説委員
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