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李洪九元首相が死去、享年92歳

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

李洪九(イ・ホング)元首相 キム・ヒョンドン記者

李洪九(イ・ホング)元首相が5日、死去した。享年92歳。故人は1934年に京畿道開城市南山洞で生まれ、1953年に京畿高校を卒業した後、ソウル大法学部に入学した。しかし翌年中退し、米国留学の道を選んだ。「牧師の支援でエモリー大学に奨学生として行けそうだ」という親戚の言葉を聞いて始まった挑戦だった。エモリー大学で哲学を専攻した後、イェール大学で政治学の博士号を取得した。

1968年に帰国して翌年からソウル大学で政治学を教えた故人は韓国政治学会長を務めるなど、20年間にわたりソウル大の教授として在職した。国際情勢に関心があった故人は1980年にイタリア・フィレンツェの欧州政治学研究所で民主化に関する討論の場を持った。「冷戦終結は遠くない」と感じた故人は1986年に民主化に対応するため同じ考えの教授らと「ソウル国際フォーラム」を設立した。


◆盧泰愚、金泳三、金大中政権で重用…統合の政治家


当時助手だった白栄哲(ペク・ヨンチョル)建国大名誉教授は「故人は韓国最高の政治学者だった」と回顧した。学者の道に大きな転換が訪れたのは88年、当選者時代の盧泰愚(ノ・テウ)元大統領が特講を要請した時だ。故人は「時代的な課題は一次的に民主化の進展」という前提で、英連邦(Commonwealth・コモンウェルス)の概念を南北関係に適用した「コリアン・コモンウェルス」の概念を30分間講義した。その10日後、盧氏は「私は民主化の課題を誠実に遂行する。統一については李教授が先日述べた通り内閣に入って推進してほしい」と入閣を打診した。こうして盧泰愚政権の初代国土統一院(現統一部)長官を引き受けた。

故人は89年、「韓民族共同体統一方案」を提示し、与野党の合意を引き出した。自主・平和・民主の3大原則をもとに南北連合体制を経て統一された民主共和国へと進むというのが骨子だ。故人は当時、盧泰愚・金大中(キム・デジュン)・金泳三(キム・ヨンサム)・金鍾泌(キム・ジョンピル)がそれぞれ率いていた民主正義党・平和民主党・統一民主党・新民主共和党が統一の原則に合意した第13代国会を後に「最も民主的で生産的だった」と評価した。

その後、大統領政治特別補佐官、駐英大使を務めた故人は金泳三(YS)政権では副首相兼統一院長官を務め、南北首脳会談を実現直前まで導いた。北朝鮮の金容淳(キム・ヨンスン)対南担当書記と94年6月28日に板門店(パンムンジョム)「平和の家」で会い、7月25日の金泳三大統領と金日成(キム・イルソン)主席の南北首脳会談開催に合意した。故人は晩年にも「金日成主席の急逝で首脳会談が実現しなかったのが惜しまれる」と語っていた。

故人は94年12月に首相に就任した。首相になる前から2002年ワールドカップ(W杯)招致委員長を務めていた故人は首相と委員長を兼務しながら世界にW杯招致の正当性を説明した。首相として金泳三政権の「世界化」を牽引した故人は約1年後に退いた。当時の記者懇談会で「責任を強く感じている」と述べながら三豊(サンプン)百貨店崩壊事故(95年6月29日)に言及した。事故当時、故人はバヌアツ共和国首相との公式晩餐会の途中、現場に駆けつけた。

公職を退いた後、96年に新韓国党に合流し、同年の第15代総選挙では全国区(現比例代表)の国会議員となった。「責任首相」を通じた権力の分散、後援会のない政治など、いわゆる「新しい政治モデル」と「統一大統領」を掲げて新韓国党の大統領候補予備選に挑んだが、現実政治の壁は高かった。途中で断念した故人は「政策に異議を唱えてくる候補を待っていたが、一人も、一件も、善し悪しを問いただす候補はいなかった」と嘆いた。

98年、いわゆる「IMF事態」と呼ばれた通貨危機の中で発足した金大中(DJ)政権にとって韓米関係は極めて重要だった。金大中大統領は米国の政界・財界に広い人脈を持ち、首相まで務めた故人を駐米大使の適任者と考えた。青瓦台(チョンワデ、大統領府)の要請を数回断ったが、「経済危機の早期解決と国際的な信頼向上のための環境を整えられるよう駐米大使を引き受けてほしい」という金大中大統領自らの依頼までは断ることができなかった。故人は「個人的に難しい状況だったが、金大中大統領を支援し、通貨危機で崖っぷちに立つ国を立て直すことを決心した。早朝から夜まで米国の主要人物と会い、韓国を助けてほしいと説得した」と振り返った。

2000年に大使職を終えた故人は中央日報の顧問を務め、学界、政界、外交界を渡り歩きながら得た実践的な経験と知識を伝えた。中央日報に連載された「李洪九コラム」では毎回、政治懸案や南北関係に関する洞察力が目を引いた。民主化以降、3政権ですべて重用された故人は「統合の政治家」と呼ばれた。長老として故人は保守と進歩が共にする「対話文化アカデミー」の対話会を主導し、分権型の改憲を強調した。「大統領の強大な権限と責任を適切に分ける分権が国家全体の権力をむしろ増大させる」と信じていた。

遺族には配偶者のパク・ハンオク氏、娘のソヨン氏、ミニョン氏(同徳女子大学教授)、息子のヒョンウ氏(EIGアジア代表)、娘婿のイ・ガンホ氏(韓国芸術総合学校教授)、息子の妻ファン・ジヨン氏(香港韓人女性会長)がいる。遺体安置所はソウル峨山(アサン)病院葬礼式場で、告別式は8日午前8時に執り行われる。埋葬地は天安(チョナン)公園墓地。



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