1963年10月の大統領選挙で野党の尹潽善(ユン・ボソン)候補は454万6614票(得票率45.1%)を受け、軍政を終わらせて民政に参加することにした朴正熙(パク・ジョンヒ)候補の470万2640票(得票率46.6%)にわずか15万6000票の差で惜敗した。キリスト教の元老らが立ち上がって元外務部長官の卞栄泰(ビョン・ヨンテ)候補の辞退を勧めたが、彼は最後まで自身の人気を信じて完走して22万4000余票を受けた。そのほとんどが当時の野党支持票だった。歴史に仮定はないというが、当時、卞栄泰候補が辞退していれば韓国の歴史はどう流れていただろうか。当時、朴正熙候補は46歳で、尹潽善候補より20歳も若かった。尹潽善候補が朝鮮時代の士大夫の両班家出身だったのに対し、朴正熙候補は慶尚北道亀尾(クミ)の貧しい小作農家出身だった。その後の歴史がどう流れてきたかは我々が知るところだ。
近い時期では李仁済(イ・インジェ)候補が1997年の大統領選挙で辞退していれば。沈相奵(シム・サンジョン)候補が2022年の大統領選挙で辞退していれば。歴史はそのように流れる。小さな差が大きい差として固まって歴史は流れる。小さな分岐点を経て水がこちらにもあちらにも流れることがあるが、その水はなぜかその方向に流れて川となり、今日に流れてきている。時間が過ぎて振り返る時、それが運命だったというべきか、または大衆の力と民族の業と時代環境が一体となった必然というべきか。とにかく、その流れが続いて我々は今日を生きている。今でも後日に歴史の仮定を想像してみることが我々には起きている。それだけ我々が選択する一つ一つの今日の決定が集まり、我々が身を置いて生きる国家と社会の水の流れを形成することになる。過去の70余年間、大韓民国は世界史に見られなかった圧縮的成長を成し遂げた。これは経済だけでなく民主化、文化発展の面でもそうだ。
70余年間に大韓民国が成し遂げた奇跡のようなこの成功は、歴史の偶然がもたらした結果なのか、それとも必然がもたらした結果なのか。もし後者であれば、我々の国民の底力を挙げるしかない。1953年に仏ルモンド紙が「韓国は国家でなくて援助で延命する巨大な難民村」とし、1954年に米タイム誌が「人類の歴史上最も完ぺきに破壊された国」と表現したその国が戦争の灰を踏んで立ち上がった。1979年に第2次オイルショック、朴正熙大統領の殺害で政治混乱、経済危機が訪れた時、海外の記者らはもう韓国は停滞の道に入ると伝えた。しかし我々は国家予算と賃金を据え置きながら経済安定化を成し遂げ、88年ソウルオリンピック(五輪)を成功させた。1997年の通貨危機を迎えた当時、インターナショナルヘラルドトリビューン紙は「韓国が国際的な物乞いに転落した」と報道した。しかし金集め運動で、大々的な企業金融構造改革で韓国はまた立ち上がり、今日に至った。突然の非常戒厳事態も成熟した姿で克服している。
しかし今日の韓国社会と政治的論争を見ると、過去70余年間の成功は必然なのか偶然なのか改めて問うことになる。保守野党は時代の流れを失い、迷妄に陥っている。進歩与党は持つ力に比べて熟慮が不足する。いまの国家支配構造で全般的に欠如しているのは長期的な視点と合理的な討論の過程だ。我々の進歩・保守構図は西欧とは違い、追求する価値と政策の差で分かれたというより、過去の体制と北朝鮮に対する認識の差が中心にある。過去の数回の大統領選挙過程で見られたように、保守と進歩の二大政党の政策的な違いはそれほど大きくなかった。それでも両党は事あるごとに激しい言葉で争う。
いま韓国が立っている地点はまた別の分岐点だ。世界はすでに大転換期に入り、国際秩序は揺らいでいて、人類文明を変えるAI・デジタル技術は日々進化している。混沌と不安が深まっていくこの世で我々が今している一つ一つの選択と対応が我々の未来の地位と運命を変えることになるだろう。転換の時代に一歩でも先を進む国は数世代にわたる地位を構築することになり、遅れれば挽回の機会は歴史の本の一章が終わってこそ可能なのかもしれない。我々はまた歴史の必然を信じるのだろうか。それなら残りの21世紀、我々の必然はどんな形式と様態で表れるだろうか。
それはおそらく我々の国家支配構造の再構成と国民集団知性の成長、新しい社会気風の育成でのみ可能だろう。そしてこれは少なくとも今日のSNSや政治現場で飛び交う言葉の純化から始まるべきとみられる。激しい言葉は知性を濁らせ、社会の気運をを乱す。激変の時代を乗り越えていくためには政治のせいにするのではなく、政治を支えている国民が寛容と節制、包容と配慮で統合と協力の気風を形成していくことが何よりも重要だ。排他的文化の国家が隆盛した歴史はない。
趙潤済(チョ・ユンジェ)/延世大経済大学院特任教授
近い時期では李仁済(イ・インジェ)候補が1997年の大統領選挙で辞退していれば。沈相奵(シム・サンジョン)候補が2022年の大統領選挙で辞退していれば。歴史はそのように流れる。小さな差が大きい差として固まって歴史は流れる。小さな分岐点を経て水がこちらにもあちらにも流れることがあるが、その水はなぜかその方向に流れて川となり、今日に流れてきている。時間が過ぎて振り返る時、それが運命だったというべきか、または大衆の力と民族の業と時代環境が一体となった必然というべきか。とにかく、その流れが続いて我々は今日を生きている。今でも後日に歴史の仮定を想像してみることが我々には起きている。それだけ我々が選択する一つ一つの今日の決定が集まり、我々が身を置いて生きる国家と社会の水の流れを形成することになる。過去の70余年間、大韓民国は世界史に見られなかった圧縮的成長を成し遂げた。これは経済だけでなく民主化、文化発展の面でもそうだ。
70余年間に大韓民国が成し遂げた奇跡のようなこの成功は、歴史の偶然がもたらした結果なのか、それとも必然がもたらした結果なのか。もし後者であれば、我々の国民の底力を挙げるしかない。1953年に仏ルモンド紙が「韓国は国家でなくて援助で延命する巨大な難民村」とし、1954年に米タイム誌が「人類の歴史上最も完ぺきに破壊された国」と表現したその国が戦争の灰を踏んで立ち上がった。1979年に第2次オイルショック、朴正熙大統領の殺害で政治混乱、経済危機が訪れた時、海外の記者らはもう韓国は停滞の道に入ると伝えた。しかし我々は国家予算と賃金を据え置きながら経済安定化を成し遂げ、88年ソウルオリンピック(五輪)を成功させた。1997年の通貨危機を迎えた当時、インターナショナルヘラルドトリビューン紙は「韓国が国際的な物乞いに転落した」と報道した。しかし金集め運動で、大々的な企業金融構造改革で韓国はまた立ち上がり、今日に至った。突然の非常戒厳事態も成熟した姿で克服している。
しかし今日の韓国社会と政治的論争を見ると、過去70余年間の成功は必然なのか偶然なのか改めて問うことになる。保守野党は時代の流れを失い、迷妄に陥っている。進歩与党は持つ力に比べて熟慮が不足する。いまの国家支配構造で全般的に欠如しているのは長期的な視点と合理的な討論の過程だ。我々の進歩・保守構図は西欧とは違い、追求する価値と政策の差で分かれたというより、過去の体制と北朝鮮に対する認識の差が中心にある。過去の数回の大統領選挙過程で見られたように、保守と進歩の二大政党の政策的な違いはそれほど大きくなかった。それでも両党は事あるごとに激しい言葉で争う。
いま韓国が立っている地点はまた別の分岐点だ。世界はすでに大転換期に入り、国際秩序は揺らいでいて、人類文明を変えるAI・デジタル技術は日々進化している。混沌と不安が深まっていくこの世で我々が今している一つ一つの選択と対応が我々の未来の地位と運命を変えることになるだろう。転換の時代に一歩でも先を進む国は数世代にわたる地位を構築することになり、遅れれば挽回の機会は歴史の本の一章が終わってこそ可能なのかもしれない。我々はまた歴史の必然を信じるのだろうか。それなら残りの21世紀、我々の必然はどんな形式と様態で表れるだろうか。
それはおそらく我々の国家支配構造の再構成と国民集団知性の成長、新しい社会気風の育成でのみ可能だろう。そしてこれは少なくとも今日のSNSや政治現場で飛び交う言葉の純化から始まるべきとみられる。激しい言葉は知性を濁らせ、社会の気運をを乱す。激変の時代を乗り越えていくためには政治のせいにするのではなく、政治を支えている国民が寛容と節制、包容と配慮で統合と協力の気風を形成していくことが何よりも重要だ。排他的文化の国家が隆盛した歴史はない。
趙潤済(チョ・ユンジェ)/延世大経済大学院特任教授
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