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イランの核科学者9人「暗殺」…ネタニヤフ首相の執拗な諜報本能

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

イスラエルのネタニヤフ首相 [ネタニヤフ首相ホームページ]

米国とイランの戦争の前面には常にトランプ米大統領が登場する。しかしトランプ大統領に主演を譲っただけで、絶えず背後人物として言及されるのがイスラエルのネタニヤフ首相だ。腐敗・独裁で政治的危機に直面したネタニヤフ首相が自らの生存のため「外部の敵」イランを挑発しているという解釈もある。これが事実なら自らがイスラエル情報機関モサド(Mossad)の「1号諜報員」であるネタニヤフ首相のもう一つの工作だ。

◆特殊部隊員→外交官→最年少首相


ネタニヤフは登場から衝撃的だった。1972年、イスラエルのテライブ空港でパレスチナ武装組織が航空機をハイジャックした。人質を救うために投入された特殊部隊要員の1人が当時22歳の血気盛んな将校ネタニヤフだった。ネタニヤフは肩に貫通傷を負いながらも任務を果たした。兄のヨナダン・ネタニヤフは4年後に「エンテベ作戦」で戦死し、国家英雄となった。米国で勉強したMIT出身コンサルタントのネタニヤフはその日に消えた。「テロとの戦い」にふさわしい始まりだった。


1980年代、米国で外交官時代のネタニヤフは洗練された英語と重厚な声で米国の保守層の心をつかんだ。特に複雑な中東情勢を「善と悪の対決」という二分法で単純化することに卓越していた。共和党の要人とも緊密に意思疎通した。

外交デビューが成功し、1988年に初めて国会議員に当選した。1995年にラビン首相が暗殺された後、分裂状況を生かして「次世代の顔」に浮上した。1996年の直選制で行われた首相選挙でシモン・ペレスを退け、最年少首相(46歳)となった。しかし「安保でなければ崩壊」という単純なメッセージは諸刃の剣だった。未熟な1期目(1996~99年)後に行われた1999年の総選挙で敗れた後、政界を離れた。

◆米同時テロと華麗な復帰

2001年の米同時多発テロは強硬派のネタニヤフをまたイスラエルに呼び戻した。外相(2002~2003年)、財務相(2003~2005年)を務め、2009年に首相に華麗に復帰した。その後、2010年代は選挙と連立を繰り返しながら長期政権体制を構築した。

ネタニヤフにとって政治は妥協でなく政敵を一つずつ除去していく「粛清作戦」に近かった。モサドのトップと直接意思疎通をし、政敵の動向を把握した。安保機密という名分の下でメディアも封じた。

◆永遠の戦場

2023年10月7日、ハマスがイスラエル全域を奇襲した。ネタニヤフは戦争を続けて国家非常事態を維持した。ガザ地区を越えてレバノン、イエメン、イランの本土まで戦線を拡大した。辞任圧力を「戦時状況」という名分で抑え込もうとする政治的な計算があった。

昨年6月のいわゆる「12日戦争」では、本土から1600キロ以上離れたイランで核科学者9人と軍幹部30人を暗殺した。先月28日からは米国と共にイランとまた戦争を始めた。何がネタニヤフを絶えず戦争に飛び込ませるのか。ネタニヤフの企画で始まった今回の戦争は人類の歴史にどう記録されるのか。



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