アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議場となる慶州市和白(ファベク)コンベンションセンターと国際メディアセンターでは行事のための最終作業が行われている。 [ニュース1]
<1>2000年ソウルASEM
金大中(キム・デジュン)政権当時の2000年10月にソウルで開催された第3回アジア欧州首脳会議(ASEM)は「韓半島(朝鮮半島)平和に関するソウル宣言」という里程標を残した。26カ国首脳が全会一致で採択したソウル宣言には▼南北関係の鼓舞的発展▼南北首脳会談の歓迎▼南北共同宣言の履行措置評価▼南北間和解・協力の持続▼韓半島平和に対する加盟国の寄与--などが盛り込まれた。「相互尊重と利益に基づき両地域間の協力を拡大する」という原則的水準にとどまった1996年の第1回(タイ)、1998年の第2回(英国)会議から一歩前進したものだった。
会議を契機に英国・ドイツなどが北朝鮮と修交する意向を明らかにした。ただ、北朝鮮の人権と大量破壊兵器(WMD)問題は扱えなかったという指摘もあった。金大中大統領はASEM期間にトニー・ブレア英首相らと首脳会談も行った。
<2>2005年釜山APEC首脳会議
2005年11月の釜山(プサン)APEC首脳会議で採択された釜山宣言は、釜山ロードマップを通じた「ボゴール目標」達成とDDA交渉(多国間貿易交渉)進展を促す特別声明に傍点を打った。世界貿易機関(WTO)の多国間貿易体制を強化し、域内貿易障壁を段階的に撤廃することに共感を形成した。拘束力がない声明であるだけに実質的な効果につながるのは難しいという指摘もあったが、DDA交渉妥結に対する認識を強化したという評価を受けた。
当時の会議では韓半島情勢も議論されたが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は議長国代表資格で直前に導出された9・19北核共同声明の履行を促す「北核口頭声明」を発表した。第5回北核6カ国協議第1段階会議で議論された9・19声明上の履行案を21カ国首脳レベルで強調したという点で、非核化交渉に動力を与えたという解釈もあった。
<3>2010年G20ソウル首脳会議
2010年11月にソウルで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議では1泊2日間の日程の末、ソウル宣言が導出された。最後まで為替問題と経常収支不均衡問題をめぐり難航したが、折衷案が出てきた。「市場決定的な為替制度に移行し、競争的な通貨切り下げを自制」することにした慶州財務相会議の合意を再確認した。
「主要通貨国が為替レートの過度な変動性と無秩序な動きに留意する」という点を追加しながら、米国の量的緩和措置に対する一部の国家の不満も反映した。「リーマン事態を経てG7を代替したG20が今回の会議で『危機克服』から『均衡成長』に進化した」という前向きな評価と「ガイドラインに合意しただけで果敢な対策は抜けた」という懐疑論が出てきた。
<4>2012年ソウル核セキュリティサミット
2012年3月に開催されたソウル核セキュリティサミットは「核テロ防止」に一歩近づいたという評価を受けた。閉幕時に発表された「ソウルコミュニケ」には▼武器級核物質の除去・最小化▼原子力施設に対する物理的保護強化▼核物質の不法取引遮断--などに関する行動計画が盛り込まれた。2年前にオバマ大統領が主導したワシントン会議で提示された課題を具体化したのだ。
李明博(イ・ミョンバク)大統領とオバマ大統領、中国の胡錦濤主席など53カ国の首脳と潘基文(パン・ギムン)国連事務総長ら4つの国際機関のトップが出席した中、2013年までに自発的に核兵器数千個を製造できる分量の高濃縮ウランを減縮するという内容が結果に含まれた。ただ、核軍縮と不拡散問題を除いて核安全問題だけを扱ったという限界があり、合意の結果に法的拘束力がないという点は課題として残った。
この記事を読んで…