1974年、水原(スウォン)農村振興庁に開かれた米3000万石突破祝い行事 [写真 農村振興庁]
統一稲の成果は農業だけにとどまらない。70~80年代の産業化を支える役割をした。韓国現代史のキーワードとして不足はない。20世紀後半に韓国号を動かす燃料を供給した。ひとまず腹を満たしてこそ他のこともできる。統一稲は空腹の解消と経済発展という二兎を得るのに最も大きく寄与した。
全北大のキム・テホ教授は70年代の「技術システム」に注目した。統一稲増産体制は行政・技術・社会的要素の総合という意味でだ。キム教授は「政府の支援で農民が近代的な営農技法を導入し、韓国農業全体も経済開発の離陸(take-off)段階に匹敵するほど質的な変化があった」と評価した(『近現代韓国米の社会史』)。
科学技術政策研究院(STEPI)のイ・ジュリャン研究委員の解釈はさらに積極的だ。イ研究委員は「漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれる韓国製造業神話の裏には、これまであまり知られていなかった農工併進政策があった」とし「80年代半ばまでは農業の雇用創出率が工業よりも高かった。世界に類例がない農業の圧縮成長が先にあったことで製造業の圧縮成長も可能だった」と診断した(『あなたが知らない本当の農業経済の話』)。
上り坂が急なら下り坂も急だ。統一稲の全盛時代は早くに終わった。緑色革命という成就にもかかわらず、80年代以降、統一稲に対する需要が急減した。経済成長と共に食の欧米化が進んで米の消費が減り、これに伴って米の高級化に対する需要が急増した。新品種研究も統一系でなく「高品質多収性」ジャポニカ系に急速に移動した。当局の買い入れ量も毎年減り、90年代に入ると市場から消えた。
◆「統一稲はポニー、最近の米はジェネシス」
しかし統一稲の遺産は大きい。70年代の「一時のスター」ではなく2000年代にも通用する「永遠の伝説」レベルだ。統一稲で習得した新品種技術はその後発展し、21世紀の韓国農業の根幹を形成した。イ・ジュリャン研究委員は「統一稲がポニー自動車、64K DRAMなら、現在の稲はジェネシス、第6世代HBM(高帯域幅メモリー)」と例えた。また「70年代の統一稲の緑色革命は80年代の白色革命(ビニール温室園芸農法)につながった。農業の安定的成長で他の産業の躍進も可能になった」と強調した。「三毛作国家でありながらも農業先進化に失敗して産業の高度化を果たせなかったフィリピンとは対照的」と説明した。
米不足の心配が消えた最近だが、新品種の開発は続いている。最近の温暖化が最も大きな変数だ。農村振興庁のパク・ヒョンス研究官は「韓半島(朝鮮半島)の亜熱帯化が進行し、最近は高温に強い新品種の開発に注力している。統一稲の開発に使ったインディカ品種にもまた視線を向けている」と話した。
米は最近、また注目を集めている。昨年の異常気候で生産量が減少し、米80キロの価格が4年ぶりに22万ウォン(約2万3000円)を超えた。今年、日本も減反政策による米価格の暴騰を経験した。食料安全保障と食料自給率向上という農業政策の基本を見直そうという声が高まっている状況だ。その中心に米がある。国家経済の主軸が製造・サービス業に移って久しいが、米、さらに農業競争力の確保が求められる。2022年現在の韓国の食料安全保障指数(英エコノミスト調査)は113カ国のうち39位で、経済協力開発機構(OECD)加盟国で最下位圏だ。
パク・ジョンホ記者
<創刊企画「大韓民国トリガー60」㉝>1209回の挑戦が生んだ「奇跡の種籾」、空腹からの解放(1)
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