市民がノドゥル島公園で夕日を眺めている。 [写真 シャッターストック]
漢江は外国人の目にも魅力あふれる場所だ。ハリウッドが映画を撮影し、世界的ブランドがファッションショーをした。外国人観光客は遊覧船に乗り、河川敷で漢江を眺め、漢江でラーメンを食べ、チメク(チキンとビール)を注文して韓国式デリバリー文化を満喫する。
景色が美しく「眺望プレミアム」までがつく漢江。しかし時には恐ろしい河川に変貌したりもする。年間最大水量が最少水量の90倍にのぼる。豪雨に見舞われれば恐ろしく水量が増える。洪水調節機能が強化された最近の話だ。過去にはこの数値が390倍を超えていた。3倍の米ミシシッピ川、8倍の英ロンドンのテムズ川、34倍の仏パリのセーヌ川とは比較にならない。洪水の記録も多い。三国史記の百済本紀には第3代己婁王40年(西暦116年)当時、「6月に大雨が10日間も降って漢江があふれ、民家が流された」とある。
現在の漢江は50年前の姿とは全く違う。筆者は永東(ヨンドン)大橋が開通する頃(73年)、江南(カンナム)を開発するためブルドーザーが行き来していたのを鮮明に記憶している。
◆1966年の大洪水で住宅2万3000戸が浸水
漢江の変身は洪水調節機能、すなわち「治水」で始まった。本格的な開発のきっかけはちょうど100年前、1925年の「乙丑年大洪水」だった。7月中旬、3日間の漢江中上流に300~500ミリの豪雨が降った。洪水で300人以上の人命被害が発生し、住宅1万戸以上が浸水した。洪水被害を防ぐために日帝は1927年から38年にかけてトゥクソム・竜山(ヨンサン)・麻浦(マポ)・永登浦(ヨンドゥンポ)などに約33キロの堤防を築いた。
この堤防は洪水を防ぐのに十分でなかった。光復(解放)後も漢江は繰り返しあふれた。しかしこれに対応するための政府とソウル市の財政が十分でなかった。このため65年、66年と連続で大洪水に見舞われた。66年の洪水で約40人が死亡・行方不明となり、家屋2万3000戸が浸水し、被災者は10万人にのぼった。メディアはソウルを「首都」でなく「水都」と批判した。政府とソウル市もこれ以上放置することはできなかった。漢江の上流に昭陽江(ソヤンガン)ダムを建設し、漢江には道路を兼ねた堤防を築くことにした。その堤防兼道路が江辺(カンビョン)道路だ。
江辺道路のうち67年9月に開通した最初の区間が第1漢江橋(現漢江大橋)から永登浦までの3.7キロの「江辺1路」だった。これが韓国の最初の有料道路となった。料金は乗用車が20ウォン、バスと貨物車が30ウォンだった。当時、ソウル市内のバス料金が10ウォンだったため、3.7キロの距離でかなり高い通行料だった。
江辺1路で開通式には朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が出席した。朴大統領が車一錫(チャ・イルソク)ソウル市副市長に尋ねた。
「工事費にいくらかかったのか」
「1キロあたり約1億ウォンです」
「ソウル~釜山(プサン)の距離はどれほどになるのか」
「430キロほどです」
「京釜(キョンブ)高速道路は430億ウォンあればできるのか」(『漢江開発会社』、イ・ドクス著)
当時、漢江の開発はソウル市の仕事であり、朴正熙大統領はそれより京釜高速道路を考えていたのだ。実際、翌年に着工した京釜高速道路建設には429億ウォンが投入された。
江辺1路は従来の堤防より河川側に建設した。そして過去の堤防との間、川だったところに土地ができた。ソウル市はこれを宅地として販売して儲けた。現在の鷺梁津(ノリャンジン)駅付近だ。行政事業を進めて資金を確保し、その資金でまた別の事業を展開した。これが当時の金玄玉(キム・ヒョンオク)ソウル市長が叫んだ「経営行政」だった(『ソウル都市計画の話1』、ソン・ジョンモク著)
江辺1路の竣工直前、ソウル市は「漢江開発3カ年計画」を発表した。漢江の両側に74キロの江辺道路を建設し、汝矣島(ヨイド)を開発するという内容だ。計画に基づいて他の地域に江辺道路を建設しながら、江辺1路の時と同じく宅地を開発して供給した。東部二村洞(トンブイチョンドン)、盤浦(バンポ)、狎鴎亭(アックジョン)などのアパート団地はこのようにして誕生した。東部二村洞は韓国水資源開発公社(現K-water)が引き受け、宅地開発利益を昭陽江ダムの建設に回した。この過程で広い漢江の砂浜が消えた。川を埋めて堤防を築くために浜砂をむやみに開発したのだ。
蚕室(チャムシル)は特別な地域だ。朝鮮初期には江北(カンブク)とつながっていた。中宗15年(1520年)の大洪水で蚕室の北側に広い水路が生じて島になった。その後、70年代に入って南側の川を埋め、江南(カンナム)とつながった。今でも残る過去の川の痕跡が石村(ソクチョン)湖だ。
汝矣島は堤防(輪中堤)用の骨材を確保しようと付近のパム島を爆破した。このようにして消えたパム島を自然がよみがえらせた。川の水に流されてきた土砂が積もって木が育ち、現在28万平方メートル(8万5000坪)の島になった。パム島は今も拡大している。
<創刊企画「大韓民国トリガー60」㉚>「洪水頻発」の漢江に堤防…年間7700万人が訪れるランドマークに(2)
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