2025年7月5日、駐中韓国文化院が主催した2025「K-POPアカデミー」発表会で多くの中国の若者がステージに上がり心を込めて準備したダンスと歌を披露し、K-POPに対する深い愛情を見せた。[写真 駐中韓国文化院]
記憶の片鱗をひとつ。北京で韓国語を教え始めてからいつのまにか10年ほどが過ぎている。これまで多くの中国のMZ世代と会い言葉を交わした。韓国語と韓国文学という堅い内容を講義しながら、彼らの緊張を解く話題の中心には常にK-POP、韓国ドラマ、韓国映画、韓国料理があった。新しいものに対するときめきを持って大学にやってきたニューフェースから再び不慣れな道を探して去らなくてはならない4年生に至るまで、彼らの大学生活の重さを減らしたのは韓国カルチャーだった。そんな彼らの顔に嫌韓の影はどこにも見られなかった。いやむしろKカルチャーは異邦人教授との心の距離を縮め、授業の堅さを少しの間だけでも減らす活力素だった。
記憶の片鱗ふたつ目。筆者が韓国の大学で講義した「中国文化と芸術」講座の受講生は毎学期100人以上で、多い時は400人に達したほど人気がある授業だった。この現象は残念ながら筆者の尽力とは全く関係なく、ただ中国に対する彼らの関心とニーズのためだった。
この文を書くいまもオンラインでは嫌中と嫌韓感情をあおる記事が掲載されており、いつものように反中と反韓感情をさらにあおるMZ世代のコメントがめまぐるしく付けられている。専門家らは最近のコロナ禍、経済対立と文化的摩擦、歴史的記憶が複合的に作用した結果だと診断する。現在の状況を見てふと考えにふける。あの時お互いがお互いに持ったあの感情はもう記憶の断面でだけ作動して、決して再び戻ることができないのだろうか。
現在在職している経済貿易大学韓国語学科では学生が2年生になると交換学生として1学期ずつ韓国で学べる機会がある。常に定員より申請学生が多いほど学科で施行しているさまざまな学生支援プログラムで人気がある方だ。コロナ禍の暗雲がまだ完全に去っていない数年前にも5人の学生が韓国に行ってきた。彼らは韓国で熱心に韓国語を学び、さまざまな韓国文化を体験したためか、久しぶりに中国で会った筆者に土産話をしたくてうずうずした表情だった。ある学生が韓国の学生との友情を聞かせてくれた。不慣れな環境で苦しむ自分を優しく助けてくれたという。帰ってきてからも縁は続いており、韓国の友人は自分を「お姉さん」と呼ぶといいながら楽しそうな表情を見せた。さらにはその翌年の夏に韓国の「妹」が北京に遊びにくるといって帰省を数日遅らせて韓国の「妹」と会うとの思いに幸せそうだった。
筆者はこの2つのMZの出会いに希望を見いだす。韓国と中国の交流の歴史は長い。それでも常に仲が良かったわけではなかった。40年ほどにわたり交流を完全に断絶したこともあった。修交期間はMZ世代の年齢帯とほぼ一致する。いつのまにか「而立」を過ぎたという話だ。韓国でいえば主観が確固と位置して自身の夢に向かって精進する年齢になったわけだ。年ごろになれば自然に壮年になると考えたが振り返ってみれば壮年を迎えるには本当に多くの過程を体験することになる。両親の誠意と犠牲はもちろんだが、自ら編み出す激しい成長痛はまだ完全に治ってもいない状態のようだ。韓中修交が1年1年と年齢を重ねていく過程もやはり順調なだけではなかった。通過儀礼でも払うように、この数年間はとりわけ暑くとりわけ寒かった。
互いが互いを見ながら切実に会おうと思った気持ちだけは忘れずにおこう。ノーベル文学賞受賞者の韓江(ハン・ガン)の言葉の通り「過去が現在を助けるだろう」。小さくわずかなものから、すぐにできることから探して始めよう。MZ世代らしく情熱と努力で難しい瞬間を勝ち抜こう。ともに配慮する気持ちで対立の瞬間を克服したという記憶が何より私たちを成長させるもので、夏と冬を耐えて大きく育った木の幹のようにさらに育った互いを見つめるだろう。
チャン・ジェウン/中国対外経済貿易大学韓半島問題研究センター研究員、韓国語学科教授
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