大邱高等普通学校の学生の秘密結社抗日組織を扱った「大邱学生の赤誠団被疑者声明」と題した朝鮮日報の報道(1928年12月11日付3面)。日本人の柴田建助が大邱に来た後、学生の思想運動が発源したと説明している。青の表示部分が柴田の名前。 ネイバーニュースライブラリー
結局、慶北(キョンブク)警察部高等課が「大邱学生赤誠団」事件として柴田を含む37人を検挙した。大邱覆審裁の判決文によると、柴田は「共産主義に共鳴し、朝鮮独立を希望して…朝鮮民族の解放運動を擁護する不穏な趣旨の記事を掲載した新聞の耽読を勧誘しながら実行を扇動」した。加担者だけが100-200人と推算された。
多くのメディアは柴田を秘密結社組織の核心と見なした。「2年前に柴田が大邱に来た後から発源した」「大邱中心学生秘密結社の裏で活動」と伝えた。
日帝は検事局を経ることなく警察が逮捕した主謀者を刑務所に直接収容するほど事案を深刻に認識したという。「主謀の柴田以下26人は厳重な警戒の中で全員が送致され…首犯の柴田は他の被疑者と隔離させるために最後まで留置場に置いて、綿ふとんで顔を覆って自動車に乗せ、直ちに大邱刑務所で収容した」(朝鮮日報、1928年12月14日報道)
柴田は1930年3月、大邱覆審裁判所で治安維持法違反で懲役7か月(未決拘留日数200日算入)を言い渡された。
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