培花女学校の生徒だった王宗順(ワン・ジョンスン)は満14歳だった1920年3月、三一独立運動1周年デモをして警察に連行され、有罪宣告を受けた。 [写真 国史編纂委員会DB]
「大韓独立万歳!」「大韓独立万歳!」。1920年3月1日午前8時ごろ、ソウル仁王山(インワンサン)南側の麓、弼雲台で女子生徒の声が響いた。培花女学校の生徒およそ40人が三一独立運動1周年を迎えて行った万歳デモだった。
江原道襄陽(ヤンヤン)出身のキム・ギョンファ(当時満18歳)とソウル出身のイ・スヒ(満15歳)が洗濯物を干しに行くふりをしてたらいを抱え、まずは学校の裏山の弼雲台に登った。彼女たちが丘に姿を現すと、それが信号弾であるかのように数十人の女子生徒があっという間に集まった。彼女たちは校庭まで下りながら大きな声で万歳を叫んだ。
その中でも特に幼く見える女子生徒がいた。小さな手で自ら作った太極旗(韓国の国旗)を握りしめたまま万歳を叫んだ彼女は14歳の2年生、王宗順(ワン・ジョンスン)だった。
日帝の弾圧に対抗するのに老若男女は関係がなかった。しかし女性独立活動家の行跡の発掘は今まで十分でなかった。今年の三一節(独立運動記念日)を基準に国家報勲部が独立有功者として公式褒賞した1万8258人のうち女性は664人(3.6%)にすぎない。独立記念館の傘下「独立活動家資料発掘TFチーム」が約7年間かけて女性独立活動家178人を見つけ出し、記録として残すというのはそれで意味が大きい。
王宗順もTFチームが発掘して2019年に独立有功者と認められ、大統領表彰を受けた。江原鉄原(チョルウォン)出身の王宗順は1920年に弼雲台デモで主導的な役割をした「鉄原の柳寛順(ユ・グァンスン)」だった。
毎日新報など当時の記録によると、管轄の鍾路(チョンノ)警察署から出動した警察はデモ生徒全員を学校の祈祷室に入れた後、一人ずつ呼んで「主導者探し」を進めた。
同紙は当時の状況を「警察が扇動主謀者を探しながら厳重に取り調べを続けている」と伝えた。14-18歳にすぎない女子中・女子高生を脅したともみられる内容だ。王宗順の年齢は満14歳5カ月(陰暦1905年11月生まれ)で、弼雲台デモ参加者のうち最年少だった。
生徒は一人も口を開かなかった。警察は相対的に年齢が高い、「特に反抗的な」生徒24人を選んで警察署に連行した。王宗順がその中の一人だった。
当時、日帝は要注意人物を監視するため個人の情報を記録した「監視対象人物カード」を作成したが、王宗順は「指紋番号98668/83898」と記録した。写真の中の14歳の王宗順の目は鋭かった。身長は約139センチで、噛みしめた唇には少し前まで「大韓独立万歳!」を叫んだ気迫がそのまま表れていた。
日帝は「肩の部位に天然痘のあと」など身体の特徴も記入した。名前や容貌を変えても容易に追跡や確認ができるようにするためだった。幼い王宗順が後にまた独立運動に参加する可能性があると判断したとみられる。
「被告は培花女学校の生徒で…朝鮮独立万歳を高唱し、独立運動に賛同する意思を表し…治安を妨害した」。
判決文によると、日帝朝鮮総督府検事の横田義太郎は王宗順を保安法と朝鮮刑事令を違反した容疑で起訴し、京城地裁判事の三田村国太郎は懲役6月、執行猶予2年を言い渡した。幼い女子中学生であることを考慮すれば異例の重刑だった。さらに日帝は主謀生徒の退学や処罰などの圧力を学校側に加え、培花学校の校長スミスが強制退任されるなど波紋が広がった。
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