安東市法興洞に位置した臨清閣につながる散歩道。過去に臨清閣の前にあった線路を表す歩道ブロックが敷かれている。 キム・ジョンソク記者
臨清閣では石洲先生をはじめ、独立活動家計11人が登場した。臨清閣を「独立運動の産室」と呼ぶ理由だ。李先生の弟の相東(サンドン、1865-1951)と鳳義(ボンヒ、1868-1937)、息子の濬衡(ジュンヒョン、1875-1942)、甥の衡国(ヒョングク、1883-1931)、運衡(ウンヒョン、1892-1972)、光民(グァンミン、1895-1945)、孫の炳華(ビョンファ、1905-97)、孫嫁の許銀(ホ・ウン、1907-97)、親戚の李承和(イ・スンファ、1876-1937)、夫人・金宇洛(キム・ウラク、1854-1933)だ。全員が民族愛章・独立章など建国勲章を受章している。
2014年から11年間にわたり臨清閣の管理を担当しているキム・ホテ氏(65)は前庭に線路があった時期から現在まで臨清閣が復元される過程を見守っている。
キム氏は「臨清閣の前の散歩道を地下にして家屋3軒をすべて完全に復元しようという計画案もあったが、宗家の子孫のイ・チャンス氏(60)が『散歩道を地下に作って復元工事をするのがわが家にはよいが、費用があまりにもかかり訪問客も不便なので一部だけを復元しよう』と話した」とし「それが石洲一家の精神ではないかと感じた」と評価した。
ただ、国家顕忠施設にも指定されている臨清閣のあちこちにまともに復元されていない部分がかなり残っている点は惜しまれる。1950年の韓国戦争(朝鮮戦争)前後に臨清閣が安東鉄道局労務者集団住宅として使用され、1975年に鉄道局が栄州(ヨンジュ)に移されながら解体復元され、何度か修理される過程で多くの部分がまともに復元されなかった。
キム氏は「修理の過程で臨清閣に関する理解不足から臨清閣施設の一部を掘削機で毀損するようなことが多かった」とし「復元作業に石洲先生一家の意見が十分に反映されるようにするべき」と話した。
99間の邸宅を半分にした鉄道を撤去、独立運動産室「臨清閣」復活記(1)
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