본문 바로가기
이전 페이지로 가기 공유하기 주요 서비스 메뉴 열기

<創刊企画「大韓民国トリガー60」⑩>戸主制の廃止、女性というだけで当たり前だった差別を終わらせた

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2005年の戸主制廃止は、韓国女性運動史において最大の転換点だった。1984年、李兌栄(イ・テヨン)弁護士(右)を中心とした家族法改正キャンペーン。「皆同じ人間」というポスターの言葉が見える。[中央フォト]

◇大韓民国「トリガー60」⑩ 2005年の戸主制廃止

1982年に生まれた女性で最も多い名前は「キム・ジヨン」だ。彼女の名を借りたミリオンセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』では、主人公のキム・ジヨンが2012年に婚姻届の空欄を記入している途中、5番目の項目で手が止まる。「子どもの姓本(=姓と本貫、本貫は始祖の出身地のこと)を母のものとすることに合意しましたか」の部分だ。キム氏は「いいえ」にチェックを入れた。「母親の姓にしたと言えば、説明しなきゃならないことが多くなるだろう」という夫の言葉にうなずいた。


こうした小説の風景は少しずつ崩れつつある。2021年、妻キム・ジイェさん‐夫チョン・ミングさん夫婦は、生後6カ月の娘の名前を「チョン・ジョンウォン」から「キム・ジョンウォン」へと変更した。婚姻届時に「母の姓本を選びますか」で「いいえ」としたが、父の姓を「固定値」と定めた民法の条項が、両性の平等を明記した憲法と矛盾すると考え、改めて家庭裁判所に赴いた。それより1年前の2020年には、ペ・セジョンさんが弟と一緒に「姓本変更許可の審判請求」を行い、父の姓「イ」の代わりに母の姓「ペ」を自分の姓とした。韓国社会の性差別的な家父長制の慣習を打ち破りたかったからだ。


戸主制の廃止--。2005年3月2日、韓国の家族文化に革命的な変化が起きた。この日、国会は戸主制の全面削除を明文化した民法改正案を可決した。たとえば先に言及した姓本問題がそうだ。婚姻届において夫婦の協議が前提とはいえ、以前のように必ず男性の姓本に従わなければならなかった時代からすると天と地の差だ。

戸主制廃止の決定的な契機は、同年2月3日に憲法裁判所が下した「戸主制憲法不合致決定」だ。憲法裁判所は「戸主制は両性平等の原則と個人の尊厳を定めた憲法第36条第1項に違反する」と宣言した。国会を通過した戸主制廃止は2年9カ月の猶予期間を経て、2008年1月1日から施行された。

戸主制とは、戸主を中心に家(家族)を構成し、戸主は原則として男系子孫が継承する制度だった。男性が「家庭の主(あるじ)」として血統を継ぎ、婚姻や家族、財産関係において絶対的な影響力を持つ制度だった。

戸主制打破に初めて挑んだ「ファースト・ペンギン」は韓国家庭法律相談所の初代所長、故李兌栄(イ・テヨン)氏(1914~1998)だ。韓国初の女性法曹人とされる彼女は、1950年代から「女性たちの苦しみと涙とため息を見過ごしてはならない」とし、女性人権の向上に尽力した。

◇「犬や豚と変わらない」 保守男性の激しい反発

実際、法律相談所に映った女性たちの生活は、差別と矛盾に満ちていた。女である、妻である、娘であるという理由だけで、人間扱いされないケースが日常的にあった。例えば、結婚して30年、娘3人を残して夫が亡くなったが、生前に夫が外で設けた5歳の息子が突然現れて戸主になったらどうすればよいのか。また、夫と離婚して母親が1人で子どもを育ててきたが、子どもたちは縁を切った元夫の戸籍に載っていて、母親自身は子どもたちの同居人になっているという場合もある。前の夫との子の姓が現在の夫と異なっていて困惑している女性も一人や二人ではなかった。

李兌栄弁護士が投じた一石は大きな波紋を呼んだ。特に1980年代以降、女性運動が活発になるにつれ、エネルギーが蓄積された。1987年の社会民主化運動が強固な後ろ盾となった。戸主制廃止を加速させた種火は大きく2つある。1997年3月、女性界の関係者170人が始めた「親の姓を併記する運動」と、同年7月、同姓同本禁止制度に対する憲裁の憲法不合致決定(2005年施行)だ。しかし、困難も多かった。特に儒教の教えを重んじる保守的な男性からの反発は激しかった。「我が民族が犬や豚と変わらなくなる様は見られない」と非難した。『韓国家族法を読む』を著したソウル大学法学専門大学院の梁鉉娥(ヤン・ヒョナ)教授は「戸主制の廃止は広範な女性と男性市民の参加によって完成された。韓国の市民革命として記録されるべきだ」と評価した。

男児選好現象も戸主制の弊害の一つだった。韓医学者出身のコウン・グァンスン氏も、女児中絶の深刻さを目の当たりにして、戸主制廃止に積極的に動いた。「男児を産む処方を求める女性が多かった。20回も中絶してまで男児を産もうとする人もいた。それがブーメランのように戻ってきて、韓国の出生率が崖のように落ちたのではないか」と語った。

実際、1990年、韓国は新生児100人あたり男子116.5人という世界最悪レベルの出生性比を記録したが、2007年以降は自然比率の105人程度に落ち着いた。大事にされた息子たちに押されて追いやられてきた多くの娘たちの悲しい履歴書に終止符が打たれたのだ。

戸主制は韓国社会を丸ごと変えた。家族という集団から個人という主体へと重心が移った。戸主中心の戸籍が消え、本人中心の「一人一籍」新身分登録制が施行された。既存の戸籍謄本には、離婚や犯罪などのセンシティブな個人情報が記載されていた。

◇「韓国女性賃金、OECD最下位」をかみしめるべき

戸主制廃止は、韓国の家族文化の変化を映し出す鏡も同然だ。離婚・再婚家庭、ひとり親家庭、養子家庭、単身世帯などの増加は、いわゆる伝統的家族の解体と結びついて展開された。女性の社会経済的地位の向上も一因となった。しかし課題もある。女性界は、婚姻届において父の姓を選ぶ父姓優先主義を、新たな差別と見なしている。

特に男女間の経済的格差は依然として大きい。『2024女性経済活動白書』によると、女性労働者の時間当たりの平均賃金は男性の71%水準で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で依然として最下位だ。韓国家庭法律相談所のクァク・ベヒ所長は「戸主制廃止は、男女が共に幸せに暮らそうという運動だった。廃止直後、社会が崩壊するかのように騒がしかったが、心配していたことは何一つ起こらなかった」と振り返った。

今年は光復80周年だ。李兌栄弁護士は1967年の光復節(解放記念日)にこう記している。「8・15は、因習と伝統からの解放だった。親には娘として、夫には妻として、息子には母として、ただ献身的に仕えることだけを強いられていた縦の存在としての女性が、人と人の間で横の存在となり、個性ある独立した人間に昇格した慶祝日だった」

戸主制廃止から20年を迎える今、その響きは大きい。2025年に生まれる次の「キム・ジヨン」が描いていく男女の地形図は、今よりもさらに平らになっているだろう。

◇父系血統主義は自然界のどこにも見られない

「20年以上前のことだが、今でも鮮明に覚えている。もう一度機会があれば、もっと勇気を出して立ち上がりたい」

梨花(イファ)女子大学の崔在天(チェ・ジェチョン)特任教授(71)は、韓国において進化論の普及に尽くしてきた社会生物学者だ。2003年末、戸主制の違憲性を問う最後の公開弁論で、決定的な一撃を加えた。崔教授は法廷で「父系血統主義は自然界のどこにも存在しない。生物の系統を明らかにするミトコンドリアDNAを比較分析すると、メスの系譜を遡っていく。戸主制は人類のどの集団にも由来を見出せない」と主張した。

--科学者による戸主制に対する発言は意外だった。

「それも法廷に出て証言した例は海外にもなかったようだ。翌年、米国で開かれた動物行動学国際会議で、予定になかった即席講演を求められたほどだった」

--憲法裁判所の法廷にまで行くことになった経緯は。

「2000年、EBS(韓国教育放送公社)で『女性の世界が明るくなった』というテーマで特講したことがある。生物界の主体はメスだという趣旨だった。そのとき、戸主制違憲訴訟を主導した李錫兌(イ・ソクテ)弁護士〔当時・民主社会のための弁護士会(民弁)会長、元憲法裁判官〕から協力を求められて一緒に取り組むことになった」

--ずいぶん多くの辱めも受けたそうだが。

「口にも出せないような罵声を浴びせられたこともある。主に男性からの攻撃だった。放送後、1年間は電話のコードを抜いていたほどだ」

--これは男性のための運動でもあるとおっしゃっていた。

「憲裁への意見書にも『大韓民国の男性であるなら戸主制廃止を歓迎すべきだ』と記した。家父長の階級章を外せば、男性も楽になる。外国よりも高い韓国の40~50代男性の死亡率も下がるだろう。今もそうした揺るぎない考えがある」

--この間、社会は変わったと思うか。

「以前とはさまざまな面で変化した。最近では若い男性がむしろ女性に不満を爆発させる『女性嫌悪』現象が深刻だ。科学者として心がただ痛むばかりだ」



関連記事

この記事を読んで…

포토뷰어

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    공유하기

    팝업닫기
    top 메뉴