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<韓日60年の記憶⑤>「私たちの子や孫に謝罪させない」安倍氏の談話、日本の鉄則になる(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2013年12月26日、A級戦犯が合祀された靖国神社を参拝する当時の安倍晋三首相。[写真 ロイター=聯合ニュース]

◇韓日関係は満ち潮と引き潮のように近づいては遠ざかるを繰り返しながら60年という長い歳月を過ごしてきた。その間に現在の関係を形成するのに礎石となった、いまでは忘れられつつある記憶がある。肯定と否定が交差しながらも結局ひとつの指向点を持っている6つの記憶を呼び戻した――。

激動の韓日修交60年史から省くことのできない人物が1人いる。安倍晋三(1954~2022)元首相だ。昭恵夫人が韓国の大衆文化と食べ物を楽しんだように、彼もやはり韓国に対し好感を見せた。


「朝鮮通信使がかつて日本に渡り、日本に様々な文化を伝えた。彼らが一番先に上陸したところがまさに私の故郷の下関だ。碑石もある。私は彼らを尊敬している」とするほどだった。


だが安倍氏の「好感発言」にもかかわらず、2015年の戦後70周年、韓日国交正常化50周年の年に彼が出した「安倍談話」は韓日関係の変曲点になった。「あの戦争には何の関わりのない未来世代が謝罪を続ける状況を作ってはならない」という論理だった。「歴史修正主義」基調の芽が出始めた安倍政権を経て韓日関係はその後こじれながら10年以上の暗黒期を迎える。

◇安倍氏の遺産、そして日本

パンパンと爆発音が通りを覆った。おびえた人たちが悲鳴を上げた。そして少し後、だれかがあわてて大声で叫び始めた。

「AED(自動体外式除細動器)はないですか」

2022年7月8日午前11時28分、参議院選挙を控え奈良県の大和西大寺駅前ロータリーで選挙応援演説をしていた首相が2発の銃撃に鮮血を流し倒れた。心停止状態で奈良県立医大付属病院救急センターに搬送された。病院の前には取材陣が群がった。夫の危篤の知らせを受けた昭恵夫人が病院に入ってしばらく後の午後5時3分、死亡を伝えるニュースが電波に乗った。

数日後、東京タワーが見える増上寺一帯に数百メートルの行列ができた。安倍氏の霊柩車が出るのを見るための人波で、一部は涙をぬぐったりもした。日本人に最も多く愛された首相であり、韓国人にはタカ派の政治家として有名な安倍氏。彼はなぜ安倍談話を残すことになり、安倍談話は両国の社会にどのような影響を及ぼしたのだろうか。

8年9カ月の在任記録。歴代最長寿首相だった安倍氏が夢見たのは戦後レジームからの脱却だった。戦争が可能な「普通の国」への回帰に向け、彼は憲法改正のほかにも日本が「過去史」に縛られないことを臨んだ。

日本の敗戦日であり韓国の光復節である8月15日を翌日に控えた2015年8月14日、彼が会見を開いた。「政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません」という言葉から始まり、彼が談話を読み上げた。

「(中略)100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」。

談話を読み上げる彼の口から「韓国」という単語が出てきたのはたった1回だった。

「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」。

そして彼がまた述べた。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」。

韓国と中国はすぐに反発した。侵略という単語に言及し、歴代内閣の立場を継承するとしたが、「痛切な反省と心からのお詫び」を過去形、間接形で伝えたためだった。

尹徳敏(ユン・ドクミン)元駐日韓国大使の評価だ。

「韓国には最悪だった。そのような意図があったのかはわからないが韓国に対する認識は(談話に)なかった。特に日露戦争でアジアとアフリカの人々を勇気づけたという部分は韓日関係が最悪に突き進むのに影響を及ぼした」。

露日戦争を口実に軍隊を派遣し、これはその後の強制韓日併合につながったためだ。中国外交部もやはり「日本は被害国の国民に対する心からの謝罪をしなければならない」として反発した。中国国営新華社通信も安倍談話に対して「希釈された謝罪」とした。

◇「最後のお詫び」を夢見る

安倍氏はなぜこうした談話を出したのだろうか。『安倍晋三回顧録』(2023年)で彼はこのように述懐する。

「侵略、おわび、植民地支配、痛切な反省、というキーワードがありましたが、例えば侵略については、日本は過去何度もおわびしてきましたよ。『何回謝らせれば済むんだ』という思いはありました。だから、70年談話では『我が国は(中略)繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた』とか『こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない』という表現にして、私がおわびします、とは言わなかったのです。いろんな書きぶりを戦略的に打ち出したのです」。

要するに大学教授などを前面に出して「21世紀構想懇談会」という組織まで作った自身の談話は「戦略的な作文」にすぎなかったという話だ。「謝罪の宿命」を担わない未来世代、これは安倍氏の信念で、彼は第2次政権(2012年12月~2020年9月)でこの信念の実行に入った。彼が最も大きな不満を持っていたのは1993年8月4日に当時の河野洋平官房長官が日帝強占期の日本軍慰安婦問題に対し謝罪と反省を明らかにした「河野談話」と、1995年8月15日に当時の村山富市首相の植民地支配に対する謝罪を盛り込んだ「村山談話」だった。

安倍氏の言葉だ。

「村山談話は、日本だけが植民地支配をしたかのごとく書かれている。戦前は、欧米各国も植民地支配をしていたでしょう。人種差別が当たり前の時代、アフリカで残虐なことをしていた国もある。ベルギーの国王が、残虐行為をしたとしてコンゴ共和国に謝罪したのは、2020年ですよ」。

国民大学日本学科の李元徳(イ・ウォンドク)教授は安倍談話をこのように評価した。

「安倍氏の話は後に続く慰安婦合意とも通じることになる。安倍氏は謝罪について毛頭考えていないと話したが(※慰安婦被害者に謝罪の手紙を送る意向があるかとの質問に対する答)、この一貫性が韓国に対する政策に定着した。安倍氏死去後にレガシー(遺産)となり日本社会の鉄則として残された」。

尹元大使は「朴槿恵(パク・クネ)・李明博(イ・ミョンバク)保守政権が発足したが、首相の歴史修正主義認識のため韓日関係が復元されず漂流することになった」と診断した。「慰安婦合意の白紙化、続く強制徴用賠償判決、そして日本の輸出規制まで続き戦後最悪へ突き進む状況が安倍政権で起きることになった」と付け加えた。

安倍氏の遺産はいまも受け継がれている。自身の談話が最後になるように望んだ安倍氏は、「戦後80年には(首相談話を)する必要がない」ともしたが、安倍氏の長期執権で主流としての地位を確立してきた自民党の旧安倍派を中心に、安倍氏死去後のいまでもこの声は変わらない。安倍氏と対称点に立っていた石破茂首相は今年初めに、戦後80周年の今年談話を出すという意志を表明したが、党内保守派から反発を受けている。


<韓日60年の記憶⑤>「私たちの子や孫に謝罪させない」安倍氏の談話、日本の鉄則になる(2)

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