レーガン大統領の命を救ったジョセフ・ジョルダーノ氏がレーガン大統領の写真を手にしている。[写真 ジョージ・ワシントン大学病院]
事件当時、レーガン大統領は演説直後に銃撃を受け病院に搬送される際に、医療陣に「みんな共和党員だったらいいのだが」と話して手術をしっかりやるようジョークを飛ばしたエピソードは有名だ。この時「きょうだけはみんな共和党員だ」と答えたのがジョルダーノ氏だ。
同紙はレーガン大統領暗殺未遂が起きる数年前にジョルダーノ氏がジョージ・ワシントン大学病院外傷センターの改編を主導し、この改編がレーガン大統領の命を救ったと報道した。ジョルダーノ氏は1973年~1976年にウォルター・リード陸軍医療センターで勤務し、1976年にジョージ・ワシントン大学病院に赴任した。彼の最初の任務は救急センター改編だった。
彼は施設・装備、救急車・人材配置、救急医療チームの業務手続きなどを細かく整えた。1979年に米国外科学会は同大学病院を1等級外傷センターと認証した。同紙は「1981年に最も緊急な患者(レーガン大統領)が入ってきた時、こうした準備が極めて重要なことが立証された」と伝えた。
米国外科学会会長を務めたアントン・シダウィ氏は同紙に「レーガン大統領を手術する際にジョルダーノ氏はオーケストラを指揮するマエストロのようだった」と描写した。
大手術を控えた大統領を安心させようと「みんな共和党員」と話したが、ジョルダーノ氏は「その日だけ」共和党員だった。同紙はジョルダーノ氏が民主党支持者であり、レーガン政権の低所得層支援削減に反対していたと報道した。政治色は違ったが、レーガン大統領は回復期間にジョルダーノ氏と書信を何回も交わした。レーガン大統領は牛乳配達員の息子として生まれ外科医になったジョルダーノ氏の人生はアメリカンドリームの典型だとしばしば言及した。
ジョージ・ワシントン大学病院は人本主義精神を実践する医術を施した医大生やレジデントにジョルダーノ氏の名前を取った賞を毎年授与している。ジョルダーノ氏は過去にインタビューで「レーガン大統領が暗殺直前まで行った状況で回復する助けになれてうれしかった」としながらも、「私は多くの患者のために医療サービスを提供した医師と記憶されたい」と明らかにしていた。
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