6日、鹿児島県美山で会った15代沈寿官が携帯電話で撮影した両国の国旗を見せている。彼は風が吹けば同じ方向にはためく太極旗と日章旗を見るとうれしくなると語った。 キム・ヒョンイェ特派員
彼はなぜこのような質問を生徒たちに投じたのか。「こういうものは日本にたくさんある。例えば足尾銅山(多くの朝鮮人犠牲者が出た栃木県の銅山)もそうだ。こういうものをどうするのか、みんなが知恵を出さなければいけないと考える」。
歴史に対する彼の長い悩みが表れた。
「私たちは過去をすべて知っていると錯覚している。なぜこのようなことが起きたのかに目を向ければ、知らなかったことも新しく発見できる。こうした意味で歴史は本当に重要だ。憎しみを増幅させるためにあるのではない」。
重い内容だったためか、彼は携帯電話の中の写真1枚を見せた。澄んだ目の孫だった。孫の写真を見るだけでも笑顔になる祖父の姿だ。彼の後を継いで16代沈寿官として襲名した息子の話をした。
「親は子どもがしたいようにさせるのが第一だと考える。16代は本当に大変だと思う。今は私の時代、私の同僚、私の客の時代であり、この人たちは私とともに老いていく。息子は息子の世界を作っていかなければいけない」。
--今後の夢は。
「私は日本人が誇らしいと思う伝統陶芸の仕事をしたい。鹿児島にこのような陶磁器がある。日本人がこれを自分たちの誇りと感じる時、私が韓国に恩返しする日だと考える。これが私には遠い故郷に恩を返す道だ」。
話は先祖の沈当吉の時代に遡った。鹿児島に来た朝鮮の陶工は故郷で使用していた原料を探し始めた。しかし同じ土を探すことはできなかった。17年後に彼らが作ったのもは、見たことも触ったこともないものだった。
「先祖は開拓者だった。鹿児島の薩摩焼は大きな意味で遺伝子(DNA)は朝鮮、白磁かもしれないが、彼らが手にした素材は全く違うものだった。このように初代、2代、3代と築いてきた。薩摩焼が目指してきた美を愚直に追求していく。『回る糸車の動かない芯」の話を父がよくしていたが、真ん中の芯は動かない。時代に流されず芯を求めていく」。
最後の彼の話だ。「数百年受け継いできたものに私たちの根がある。会ったこともない祖先が守っていると考える。実際にそれを感じる時があった。先祖に恥じることはしたくない。韓国人にも日本人にも誇りに思われたい。これが私が韓国に向けて見せられるものだ」。
<韓日修交60年②>「朝鮮の美を日本の誇りに」 400年にわたる朝鮮陶工の後裔(1)
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