16日に父の日を迎え中国の薄熙来元政治局委員兼重慶市当委員会書記の息子の薄瓜瓜氏がソーシャルメディアのXに投稿した写真。薄瓜瓜氏は父の失脚後の13年間で自信を育てたと強調した。[X キャプチャー]
代表的な紅三代(革命世代の孫)の薄瓜瓜氏は15日、中国の「父の日」を迎え、獄中の父親を懐かしむ文をソーシャルメディアのXに投稿した。薄瓜瓜氏は幼い時期に父親である薄熙来氏に抱かれた未公開写真もともに投稿した。
薄瓜瓜氏はまず英語と中国語で「父の日おめでとう。記憶する限り私たちは千里離れた父子として過ごすのに慣れている」と回想した。続けて9歳の時に自身が作った詩を薄熙来氏が他の人たちに自慢した思い出も紹介した。
薄熙来氏が大連市党委員会書記から商務部長に昇進した時期を回想し「待っていたあなたと母が北京に戻った時はすでに英国の全寮制の学校に通っていた」とした。続けて「当時経済学を少し勉強して書いたなかなか悪くない論文であなたが中国と欧州の貿易戦争を解決するのに助けを与えた」と回想した。
彼は薄熙来氏が落馬した重慶市党委員会書記時代にも言及した。彼は「家族が重慶に引越しした時、私はすでに大学に通っていた。あなたはようやく私を大人として接し、私はあらかじめ約束して事務所の庭を一緒に散歩しながらあなたが暗唱する文天祥(1236~1283)、范仲淹(989~1052)、譚嗣同(1865~1898)の詩を聞いた」と書いた。薄瓜瓜氏が言及した文天祥はモンゴル族の元に抵抗して斬首され、北宋の范仲淹と清の譚嗣同はいずれも改革を推進したが失敗した不運の改革家だった。まるで彼らを薄熙来氏の運命に例えるかのようなニュアンスを漂わせたのだ。
薄瓜瓜氏はまた、「当時私はあなたの影から抜け出したかった。あなたがおじいさんの影から抜け出し自らの道を開拓したように、私も私だけの道を作りたかった」と意味深長に言及した。薄瓜瓜氏の祖父は1980年代の鄧小平時代の8大元老の1人で大きな影響力を発揮した薄一波(1908~2007)だ。
最後に「13年間私は賠償を受け、さっぱり痛快に自我を発揮した。きょうついにお父さんの影の温もりを享受できるほどの十分な自信を持つようになった」と書いた。13年は2012年に習主席が政権を握ってから薄熙来氏に対する捜査結果が発表されるまでの時間を意味する。
薄熙来氏は翌2013年に収賄、横領、職権乱用などの容疑で終身刑を宣告され、北京の刑務所に収監中とされている。薄瓜瓜氏の母親の谷開来氏は英国人事業家ニール・ヘイウッド氏の殺人事件に関わり、殺人容疑で死刑執行猶予を宣告された。
薄瓜瓜氏は5月11日の「母の日」にはXに「母は現代版竇娥(姑殺害を疑われ処刑された後、亡霊となって寃罪を晴らした元曲の主人公)。真の英雄で、民の目は雪のように鋭利だ」として無実を主張した。
13日に北京人民大会堂で開かれた鄧小平時代のナンバー2だった陳雲元副首相(1905~1995)の生誕120周年座談会に薄熙来氏の親族が参加し注目を浴びたりもした。
薄熙来氏の弟の薄熙成氏が8大元老の子女の間に座った。この日の座談会には紅三代の代表格である陳雲の孫の陳暁丹氏も参加した。習主席の一人娘の習明沢氏、薄瓜瓜氏とともに米ハーバード大学を卒業した陳暁丹氏は2010年ごろに薄瓜瓜氏と交際していた。陳暁丹氏は2018年に香港の富豪2世と結婚し、薄瓜瓜氏は昨年台湾の有力者の2世と結婚した。
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