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<韓日修交60年①>韓日会談・ベトナム派兵…「激動の韓国」10万カット残した日本の写真家(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

日本を代表するドキュメンタリー写真家の桑原史成さんが韓国と結んだもう一つの縁は妻チェ・ファジャ(日本名桑原和子)さんだ。桑原さんは「日本と韓国は兄弟のように似ている部分が多い」とし「友人になってほしい。私たちもそうじゃないか」と言ってにっこりと笑った。キム・ヒョンイェ特派員

韓国は桑原さんにまた別の縁を繋げてくれた。配偶者のチェ・ファジャ(日本名・桑原和子)さん(80)だ。1969年6月11日のことだ。「パルリパルリ」毎日が猛スピードで変化していく韓国の経済の様子をカメラに収めることにした。トヨタ自動車と技術提携して仁川市富平(インチョンシ・プピョン)で乗用車を作った新進(シンジン)自動車を訪ねて行った。日本語が上手だったチェさんがガイドを担当したが、一目で恋に落ちた。秘苑で写真を撮影することにして、4日後、2人はまた会ったが、桑原さんは手帳にその日のことについて次のように記録した。

「素敵な韓国女性。初めて知った教養のある女性」


日本に戻る日が決まると、桑原さんは一世一代の決心をする。プロポーズだった。唐突の結婚申請。「戻ったらきっと後悔するわ!」という答えを聞いて飛行機に乗り込んだ。すぐに求愛が始まった。写真を送り、知人への贈り物攻勢も厭わなかった。1年5カ月、2人は切ない手紙恋愛の末、結婚を決心する。1970年11月、韓国で結婚式を挙げて、日本で居を構えた。韓国のある雑誌に日本有名写真作家が韓国人妻を迎えたとし、「結婚式はソウルで、初夜は東京で」という記事が掲載されるほど話題になった。


北朝鮮と板門店(パンムンジョム)、不毛地から船を建造した韓国造船の神話、通貨危機や大統領選挙まで東奔西走する彼を支えたのは妻だった。チェさんは「結婚直前、両親が結婚を考え直せというほどだったが、夫の韓国写真展を見て胸がジーンとした。良い写真を今後も撮らなければならない人なのだ(と考えた)」と話した。

妻の話を静かに聞いていた桑原さんに「韓国はどのような意味か」と尋ねると迷いのない答えが戻ってきた。

「島根が日本の故郷なら、韓国は第2の故郷だ」

桑原さんが妻を見つめながら、さらに言葉を繋いだ。

「過去60年間、韓国を撮影することができて本当に幸せだった。妻だけでなく、良い友人たちと出会えた。日本と韓国は兄弟のように似ている部分が多い。今後、日韓関係は自然に続いていくだろう。友人になってほしい。私たちもそうじゃないか」

妻のチェさんが言葉を重ねる。

「韓国の歌、ドラマが好きな日本人が多いほど日本は韓国が好きで、韓国人もやはり日本を多く訪れ、好きだ。互いにこのように好きなのに、政治がこれを引き裂いたりして残念に思うことが多かった。韓日修交60周年を迎えた今、むかし朝鮮通信使が日本を往来して長い間友好関係を持続したように、今からはより一層活発な平和外交と文化交流がおこなわれるようになればと思う」

桑原さんは「願いがある」とした。「南北統一を最後に取りたい」ということだ。「韓国の若者たちが分断国家であるという事実を忘れないでほしい。いつか必ず統一できるという思いを持っていてほしい。ドイツも戦争ではない方式で統一を成し遂げた。不可能はない」


<韓日修交60年>韓日会談・ベトナム派兵…「激動の韓国」10万カット残した日本の写真家(1)

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