1946年8月15日に開かれた光復(解放)1周年記念式で並んで座った雩南・李承晩(イ・スンマン)と白凡・金九(キム・グ) [中央フォト]
そのような臨時政府の法体系を継承して1948年に発足した大韓民国は、多くの内憂外患の中でも国民が主である民主共和制の強い根を固めてきた。民主共和制を継続することは今の我々の世代の神聖な義務だ。一部では、立法府・司法府に続いて行政府まで掌握すれば三権分立の均衡が崩れ、総統制に進むという懸念が生じている。しかし総統制は時代錯誤だ。誰であれ国民の自由を抑圧しようとすれば決然と対抗しなければならない。公僕がそのようにしても国民が黙認すれば主とはいえない。
政治失敗の責任を政治家のせいにするが、投票権を行使する有権者の選択に伴う責任が最も大きい。こうした観点で文在寅(ムン・ジェイン)政権5年と尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権3年、すなわち過去8年間の国政混乱と失敗は、有権者の立場で極めて遺憾であり、同時に恥ずかしさを感じさせた。彼らを大統領に選んだ当事者がまさに我々、有権者であるからだ。
6・3早期大統領選挙に臨む国民一人一人は責任を痛感しながら投票場に行くべきではないだろうか。事前投票に続いて3日の本投票で主らしく峻厳な態度で一票を行使しなければいけない。その過程で新しい大統領を選択する基準として文在寅、尹錫悦を反面教師とすればよい。
「文+尹8年」は独善的な国政運営という共通点がある。文在寅の超法規的な積弊清算キャンペーンに剣客として動員された検事の尹錫悦が、後ほど内部権力闘争をしながら葛藤と分裂を深めた。それだけではない。文政権は不動産失政による住宅価格暴騰で庶民と中産層を苦しめた。経済学の教科書を無視した所得主導成長が経済を災難に追い込んだ。北朝鮮と中国の前で低姿勢を見せて国民の自尊感を傷つけ、平和を話す中で北朝鮮の核はさらに高度化した。
尹政権は梨泰院(イテウォン)惨事の中でも側近の李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官らを守るのに汲々とし、チェ上等兵の死亡事故を透明に処理できず国軍統帥権者として軍を動揺させた。ブランドバッグとミョン・テギュン氏などをめぐる金建希(キム・ゴンヒ)夫人関連の疑惑を処理できず、早期没落を自ら招いた。違憲的な12・3非常戒厳は、このような指導者が自由民主主義を危険にした最悪の悲劇だった。
次期大統領は徹底的にこうした「文+尹8年」の試行錯誤を越えなければいけない。何よりも大統領夫人や親戚が法的な根拠なく影響力を行使できないよう遮断する必要がある。国家財政を考慮せずバラマキ公約を繰り返すポピュリストは遠ざけなければいけない。
賽は投げられた。今はもう国民が選択する時間だ。勝者と敗者が決まれば4日から新政権が始まる。2022年の大統領選挙は0.73ポイントという票差のためか、敗者はまともに承服せず、勝者は敗者に雅量を見せることができなかった。このため極限政争が繰り返され、被害はそのまま国民が受けることになった。
制憲国会議員を歴任して「白峰新思想」で有名な独立活動家、羅容均(ラ・ヨンギュン)元国会副議長(1895-1984)は1922年にモスクワでレーニンに直接会ったが、人をむやみに殺すソ連共産主義に幻滅を感じた。1923年に英国に渡り、議会民主主義政治を目にした。選挙で敗れて権力を失っても命は奪わない英国の先進政治を見ながら、亡国の青年知識人は新鮮な衝撃を受けた。
選挙の敗者が勝者に「あなたは運が良い悪魔(You are lucky devil)」と冗談を言って祝う姿を見ながら、羅容均は解放以降、合理的な議会民主主義者の道を歩んだ。その英国のように包容・和解をしてこそ大統領選挙が「政治内戦」を終わらせる「統合の出発点」になるだろう。
チャン・セジョン/論説委員
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