フランシスコ教皇
特に、パロリン枢機卿は「バチカンのナンバー2」で、教皇庁国務長官としてフランシスコ教皇とバチカンで11年間勤務した。教皇の健康が悪化する度に後任として取り上げられた。強硬保守派と急進改革派の中間傾向をもち、教皇庁内の保守・改革葛藤の中で中立的で実用的な態度を維持してきたという評価を得ている。
ズッピ枢機卿は「教皇が最も好きな枢機卿」(インディペンデント)、「フランシスコ教皇の精神的後継者」(ザ・タイムズ)と言われる。このような表現が示すように、ズッピ枢機卿は教皇と思想的に最も似ている。
このほか、欧州の難民受け入れと離婚・同性婚に反対してきたハンガリー出身のエルドー・ペーテル枢機卿(73)、スウェーデン・ガルメル会出身のアンデルス・アルボレリウス枢機卿(75)、フランス・マルセイユ出身のジャン=マルク・アヴリーヌ枢機卿(66)も有力視されている。
最初のアジア圏教皇候補には、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(67)がいる。タグレ枢機卿は「アジアのフランシスコ」というニックネームがつけられるほど、フランシスコ教皇の開放的で包容的な立場を支持し、実践することで有名だ。
アフリカでは、コンゴ民主共和国のフリドリン・アンボンゴ・ベスング枢機卿(65)が有力だ。社会的弱者の保護、経済的不平等の解消などの価値を重視する「開放的な教会」を支持する人物だ。
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