21日午後4時、東京のホテルニューオータニ。荷物検査を終えると、別の空間で待機してほしいという案内が続いた。一方では「双方の冒頭発言が終わっていないのに出ていけと言われたとしても、そのまま取材をすればよい」という声が聞こえてきた。一瞬、控え室には緊張感が漂った。1時間ほど待っただろうか。在日中国大使館の関係者が手のひらほどのパンダのステッカーを配り始めた。韓国の趙兌烈(チョ・テヨル)外交部長官と中国の王毅外相(共産党中央外事弁公室主任)の会談の取材に来た両国の取材陣向けだった。案内に従って入ると立っている王外相の姿が見えた。趙長官が入ってくると、2人は英語で「お久しぶりです」という言葉を交わして手を握り合った。
話し始めたのは中国だ。「今年は抗日戦争勝利80周年、朝鮮半島光復(解放)80周年であり、両国に格別の意味がある」というあいさつの言葉が始まった。「頻繁に往来して親交を深めていくべき」という説明も続いた。次は趙長官の前向きな回答だ。発言は今年秋に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)に傾いていた。中国の習近平国家主席が訪韓することを望むということだった。この日に外交部が出した韓中外相会談の結果資料には「韓中文化交流の復元」議論があった。いわゆる限韓令(韓流禁止令)が解除されるのではという期待感を呼ぶほど一部のメディアはこれを速報で伝えた。西海(ソヘ、黄海)暫定措置水域(PMZ)に中国が設置した構造物に対する「合法的海洋権益」が影響を受けてはならないという内容も含まれた。しかし中国メディアは文化交流の復元や海洋権益の話には全く言及しなかった。習主席のAPEC出席に関する話も同じだった。
期待を集めた中日外相会談も似ていた。日本は水産物の輸入再開、拘束中の日本人釈放、領海侵入問題など「懸案」の議論をしようとしたが、解決の糸口は見いだせなかった。互いに顔を赤くすることもあった。石破首相との単独会談で「戦後80年」発言と共に王外相が「歴史に対する反省」に言及したが、これに対する両国の発表が違った。中国の「(石破首相が)中国の立場を尊重する」という発表に日本政府は反論した。「撤回すべき」という要求も続いた。
3カ国の同床異夢にはそれぞれの思惑がある。日本は李強首相の訪日と水産物交渉を、韓国は今年秋のAPECを成功させるべきという考えが強かったということだ。北朝鮮の核問題には消極的だったが、米国を意識して中国が「経済協力」を持ち出したのもそうだ。揺らぐ国際情勢の中、考えが異なる3カ国の一つの声はまだはるか遠いようだ。
キム・ヒョンイェ/東京特派員
話し始めたのは中国だ。「今年は抗日戦争勝利80周年、朝鮮半島光復(解放)80周年であり、両国に格別の意味がある」というあいさつの言葉が始まった。「頻繁に往来して親交を深めていくべき」という説明も続いた。次は趙長官の前向きな回答だ。発言は今年秋に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)に傾いていた。中国の習近平国家主席が訪韓することを望むということだった。この日に外交部が出した韓中外相会談の結果資料には「韓中文化交流の復元」議論があった。いわゆる限韓令(韓流禁止令)が解除されるのではという期待感を呼ぶほど一部のメディアはこれを速報で伝えた。西海(ソヘ、黄海)暫定措置水域(PMZ)に中国が設置した構造物に対する「合法的海洋権益」が影響を受けてはならないという内容も含まれた。しかし中国メディアは文化交流の復元や海洋権益の話には全く言及しなかった。習主席のAPEC出席に関する話も同じだった。
期待を集めた中日外相会談も似ていた。日本は水産物の輸入再開、拘束中の日本人釈放、領海侵入問題など「懸案」の議論をしようとしたが、解決の糸口は見いだせなかった。互いに顔を赤くすることもあった。石破首相との単独会談で「戦後80年」発言と共に王外相が「歴史に対する反省」に言及したが、これに対する両国の発表が違った。中国の「(石破首相が)中国の立場を尊重する」という発表に日本政府は反論した。「撤回すべき」という要求も続いた。
3カ国の同床異夢にはそれぞれの思惑がある。日本は李強首相の訪日と水産物交渉を、韓国は今年秋のAPECを成功させるべきという考えが強かったということだ。北朝鮮の核問題には消極的だったが、米国を意識して中国が「経済協力」を持ち出したのもそうだ。揺らぐ国際情勢の中、考えが異なる3カ国の一つの声はまだはるか遠いようだ。
キム・ヒョンイェ/東京特派員
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