慶尚南道山清郡(キョンサンナムド・サンチョングン)で21日に発生した山火事鎮火作業が3日間続いている中、23日、矢川面(シチョンミョン)でヘリが水を撒いて鎮火している。ソン・ポングン記者。
また「先発隊4人が100メートルほど前に進み、5人が後ろからついて行った」とし「30分ほど山に登ったが、炎が熱く感じられるほど火が激しくなり、四合目、六合目ごとに100メートルの長さに炎が広がり、下山を始めた」と話した。火が近づいてくるのが感じられ、クァクさんは携帯電話で現場の写真と座標を撮影して消防と昌寧郡に救助を要請したが、30分間ヘリは来なかったという。クァクさん、ムンさんの弟との一問一答。
ーー火災の中心地と400メートル離れていたのに、なぜ火を避けることができなかったのか。
「(クァクさん)炎が至る所に広がるのが見えた。これではだめだと思って下山したが、火が見えてきた。上を見上げると、山の上にも火が広がっていた。それから10秒で竜巻のように火が押し寄せてきて背後に火魔が襲った」
ーー火魔が襲ってきた当時の状況はどうだったのか。
「(クァクさん)幸いにもすぐそばに地面がへこんだ水たまりがあり、5人が抱き合って体をかがめた。鎮火服を着て帽子をかぶっていたにも、火魔が背中と頭の上を通り過ぎながら燃え尽きた。全身が裂ける苦痛の中でも、火魔が通り過ぎるまで20分間、死んだように縮こまった。火が完全に通り過ぎると、持っていたミネラルウォーター2本を体にかけてからやっと足が動いた」
ーーどのように下山したのか。
「(クァクさん)隣にいた隊員たちに『立ち上がれ。行こう』と叫びながら励ました。ムンさんはどうしても降りることができないと言ったから、仕方なくとりあえず4人が先に降りてきた」
「(ムンさんの弟)兄は負傷の程度がもっとひどく、山の中腹で一人で1時間ほどしてから降りてきたという」
一方、鎮火隊を率いて死亡した昌寧郡山林緑地課所属の4年目の公務員、カンさん(33)は前日、甥の誕生100日祝いの家族会を行っていたところ、山清の山火事現場に出動するように呼び出されて家を出たという。故人の伯父であるカン・インスさん(74)は「体重80キロも超える甥が見分けもつかない姿で戻ってきた」と怒りをぶつけた。
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