――一部ではニューライトや『反日種族主義』の見方だという。
「私は『第3の声』と考える。挺身隊対策協のような進歩側とも、李栄薫(イ・ヨンフン)教授らニューライトとも距離がある。両方ともとても政治的だ。李教授の場合、学問的には評価するが、朝鮮に対して自己卑下をするのが良くない。そうした見方には同意できない」
2024年の差し戻し審でソウル高裁は「全体的な内容や脈絡に照らしてみれば、日本軍による強制連行を否定したり、朝鮮人慰安婦が自発的に売春行為をしたという主張を裏付けるとはみられない。むしろ被告(朴教授)は、強制的に連れて行かれる人たちを量産した構造を作ったのが日本帝国または日本軍である点は明らかで、慰安婦が被害者であると同時に植民地人として日本帝国に協力するほかなかった矛盾した状況に置かれていた点を数回もかけて明らかにしている」とした。
◇無罪出たが完全な名誉回復は不可能
――10年間で最もつらかった非難は何か。
「『慰安婦を非難した』というものだ。女性の人権に関心が多いフェミニストとして本を出したものだが、私の意図とは正反対に慰安婦を侮辱したというので胸が痛かった」
――ナヌムの家で裴春姫(ペ・チュンヒ)さんと交流し続けた。
「本を出しながら日本の謝罪と補償に対するおばあさんの考えを聞こうとナヌムの家を訪ねておばあさんに会ったが、ある日同じ席で食事することになった。裴さんは日本語が上手だったが、『日本を許したいが、ここでは話せない』『とても孤独だ』のような話をされた。当時はとても驚くことで許諾を求めた後にしばしば電話もして訪ねたりもし、録音や録画もした。他の人たちの話も聞いたが、似たような話をされ、挺身隊対策協など支援団体が拒否した日本の補償金をもらいたいとも話した。その上で果たして彼ら(ナヌムの家)がだれを代弁しているのかに対しさらに大きく疑問を持つようになり、ナヌムの家は私を警戒し敵対視が露骨になった」
――本を出したことを後悔したことはないか。
「一度もない。朝鮮人斡旋業者など私の本でした話は10年前に告発された当時は最初からタブー視されたが、2~3年前からは接点が似た論文が出ている。また、北東アジア歴史財団のようなところで似た話をする日本人学者を呼んだりもする。そうしたものを見て『私は少し早かったか』という思いとともにうれしくもあり複雑でもある。学者として50代半ばからの10年余りを全く考えていなかった側で時間を使うことになった」
――今回のことを体験して得たものと失ったものがあるならば。
「訴訟過程で精神的・身体的・経済的に大きな損失を受けた。無罪判決を受けても完全な名誉回復は不可能だと思う。慰安婦問題が政治化され非難も続いていないか。知人も多く失った。ただ得たものもある。面識のなかった人たちの中でこの問題をしっかりと見つめる人たちにたくさん会ったことが大きな意味を持つ。私が告発された時は韓国の学界と知識人が出版禁止仮処分に対する抗議声明を出した。起訴された時と刑事裁判2審敗訴の時もシカゴ大学のブルース・カミングス教授、慰安婦に対し謝罪した日本の村山富市元首相、キム・ギュハン氏ら韓米日の知識人が声明を出した。また、疎通窓口がフェイスブックだけだったが、これを通じて柔軟な思考と多様な価値観を持つ人たちともたくさん出会った」
――今後の計画は。
「ひとまず当分は少し休みたい。その後はこれまで中断していた別の研究をしたい。その中には解放後の朝鮮から再び日本に戻った日本人に対する研究もある」。
『帝国の慰安婦』を出した出版社「根と葉」は2015年に裁判所が34カ所の削除を決めると異議申し立てを出した。その上で「本当にこの本が慰安婦を侮辱したものかみんなが読んでみたら良いだろう」として削除版をオンラインで無料配布した。同社のチョン・ジョンジュ代表は11日、「ファクトと主張があれば公論の場で論争し反論して解かなければならない。憲法で言論と出版の自由が保障されているのではないか。無削除版を必ず出したい」とした。ソウル高裁は1月の判決文で「学問的研究結果発表に使われた表現の適切性は刑事法廷でさえぎられるより自由な公開討論や学界内部の同僚評価過程を通じて検証されることが望ましい」とした。
無罪確定の朴裕河教授「日本の責任問おうと書いた本…慰安婦侮辱したという非難に胸が痛んだ」(1)
「私は『第3の声』と考える。挺身隊対策協のような進歩側とも、李栄薫(イ・ヨンフン)教授らニューライトとも距離がある。両方ともとても政治的だ。李教授の場合、学問的には評価するが、朝鮮に対して自己卑下をするのが良くない。そうした見方には同意できない」
2024年の差し戻し審でソウル高裁は「全体的な内容や脈絡に照らしてみれば、日本軍による強制連行を否定したり、朝鮮人慰安婦が自発的に売春行為をしたという主張を裏付けるとはみられない。むしろ被告(朴教授)は、強制的に連れて行かれる人たちを量産した構造を作ったのが日本帝国または日本軍である点は明らかで、慰安婦が被害者であると同時に植民地人として日本帝国に協力するほかなかった矛盾した状況に置かれていた点を数回もかけて明らかにしている」とした。
◇無罪出たが完全な名誉回復は不可能
――10年間で最もつらかった非難は何か。
「『慰安婦を非難した』というものだ。女性の人権に関心が多いフェミニストとして本を出したものだが、私の意図とは正反対に慰安婦を侮辱したというので胸が痛かった」
――ナヌムの家で裴春姫(ペ・チュンヒ)さんと交流し続けた。
「本を出しながら日本の謝罪と補償に対するおばあさんの考えを聞こうとナヌムの家を訪ねておばあさんに会ったが、ある日同じ席で食事することになった。裴さんは日本語が上手だったが、『日本を許したいが、ここでは話せない』『とても孤独だ』のような話をされた。当時はとても驚くことで許諾を求めた後にしばしば電話もして訪ねたりもし、録音や録画もした。他の人たちの話も聞いたが、似たような話をされ、挺身隊対策協など支援団体が拒否した日本の補償金をもらいたいとも話した。その上で果たして彼ら(ナヌムの家)がだれを代弁しているのかに対しさらに大きく疑問を持つようになり、ナヌムの家は私を警戒し敵対視が露骨になった」
――本を出したことを後悔したことはないか。
「一度もない。朝鮮人斡旋業者など私の本でした話は10年前に告発された当時は最初からタブー視されたが、2~3年前からは接点が似た論文が出ている。また、北東アジア歴史財団のようなところで似た話をする日本人学者を呼んだりもする。そうしたものを見て『私は少し早かったか』という思いとともにうれしくもあり複雑でもある。学者として50代半ばからの10年余りを全く考えていなかった側で時間を使うことになった」
――今回のことを体験して得たものと失ったものがあるならば。
「訴訟過程で精神的・身体的・経済的に大きな損失を受けた。無罪判決を受けても完全な名誉回復は不可能だと思う。慰安婦問題が政治化され非難も続いていないか。知人も多く失った。ただ得たものもある。面識のなかった人たちの中でこの問題をしっかりと見つめる人たちにたくさん会ったことが大きな意味を持つ。私が告発された時は韓国の学界と知識人が出版禁止仮処分に対する抗議声明を出した。起訴された時と刑事裁判2審敗訴の時もシカゴ大学のブルース・カミングス教授、慰安婦に対し謝罪した日本の村山富市元首相、キム・ギュハン氏ら韓米日の知識人が声明を出した。また、疎通窓口がフェイスブックだけだったが、これを通じて柔軟な思考と多様な価値観を持つ人たちともたくさん出会った」
――今後の計画は。
「ひとまず当分は少し休みたい。その後はこれまで中断していた別の研究をしたい。その中には解放後の朝鮮から再び日本に戻った日本人に対する研究もある」。
『帝国の慰安婦』を出した出版社「根と葉」は2015年に裁判所が34カ所の削除を決めると異議申し立てを出した。その上で「本当にこの本が慰安婦を侮辱したものかみんなが読んでみたら良いだろう」として削除版をオンラインで無料配布した。同社のチョン・ジョンジュ代表は11日、「ファクトと主張があれば公論の場で論争し反論して解かなければならない。憲法で言論と出版の自由が保障されているのではないか。無削除版を必ず出したい」とした。ソウル高裁は1月の判決文で「学問的研究結果発表に使われた表現の適切性は刑事法廷でさえぎられるより自由な公開討論や学界内部の同僚評価過程を通じて検証されることが望ましい」とした。
無罪確定の朴裕河教授「日本の責任問おうと書いた本…慰安婦侮辱したという非難に胸が痛んだ」(1)
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