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北朝鮮、35年前には「休戦ライン防壁」撤去を主張…合意書には国号表記も拒否

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

板門店(パンムンジョム)北側会談施設の「統一閣」 [写真 青瓦台共同取材団]

北朝鮮が35年前に韓国軍が構築した対戦車防御用防壁を永久分裂のための遮断物だと非難した事実が、1990年の高官級会談予備会談の会議録で再確認された。北朝鮮は昨年から南北連結道路・鉄道を爆破し、物理的な障壁を設置しているのとは相反する姿だ。

韓国統一部が13日に公開した1984年9月から1990年7月までの政治・経済・体育分野の南北会談文書(2266枚分)によると、北朝鮮は1990年1月31日に北側の統一閣で開かれた高官級会談6次予備会談で突然「コンクリート障壁」に言及しながら非難を始めた。


◆北、コンクリート障壁は「民族分裂・対決の象徴」


北側団長のペク・ナムジュン政務院参事はこの日の基本発言で「国の真ん中を横切るコンクリート障壁は民族分裂と南北対決の象徴であり、世界のどの国の国境にも見られない人工的遮断物」とし「コンクリート障壁を除去し、北と南は自由な往来と全面開放を実現しなければいけない」と主張した。当時のペク・ナムジュンは仮名で、会談場に出てきた白南淳(ペク・ナムスン)は1998年9月から2007年1月まで外相として活動した人物だ。

南側首席代表の宋漢虎(ソン・ハンホ)統一院次官は「こうした軍事用施設を持つことになったのは6・25(韓国戦争)当時に北側が数百両の戦車を前に出して奇襲南侵をし、わが軍がやむを得ず後退した経験を教訓に作った」とし、安保を確保するための防御用施設だという点を強調した。

しかし北側代表として出てきた当時の金英哲(キム・ヨンチョル)人民武力部副局長(労働党10局顧問)は「6・25が北朝鮮のタンクの奇襲南侵なのか」とし「この発言に責任を取るべきだ」と声を高めた。北側はこれを口実に対話を拒否し、結局、会談は北側がコンクリート障壁の撤去とチームスピリット訓練の中止などを主張して成果なく終わった。

これは金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が2023年末に南北関係を「敵対的な二つの国家関係」と宣言して以降、北朝鮮が休戦ライン一帯に防壁を設置して地雷を埋設するなど、多様な物理的遮断措置を取っている現在と完全に異なる姿だ。韓民族概念の維持がプラスになるかという判断がわずか数十年間で完全に変わったということだ。

統一部の当局者は「当時、北は対戦車防御用防壁を永久分裂のための遮断物と歪曲しながら対南非難に活用した」とし「これは北側が南北の道路および鉄道を破壊し、物理的障壁を設置する姿と相反する形態」と説明した。

◆国号表記めぐり神経戦も

統一部が今回公開した文書には、北朝鮮が二つの国家論を主張する現在とは違い、南北を他国と認めなかった事例もあった。

北側団長の白南淳は1989年11月15日の第4次予備会談で「高位当局者会談または総理会談という南側の会談名称には我々の人民の統一意志が反映されず、国と国の会談で一般的に呼称される名称という印象を与える」と主張した。

これに先立ち北側は「経済会談が進展するかどうかは全面的に南側の態度にかかっている」と題した1985年11月21日付の労働新聞の報道でも、国号の表記に反対する立場を明らかにした。「南北経済会談で採択する合意書は国と国の間に採択する合意書でなく、一つの国の中で同じ民族同士の経済協力と交流を実現するために採択する合意文書であるだけに、署名欄に国号を書く必要はない」としながらだ。

◆北 「苦難の行軍」兆候も

当時の会議録では数百万人の餓死につながった1990年代のいわゆる「苦難の行軍」を控えた北朝鮮の経済状況も表れていた。1989年3月2日、高官級会談2次予備会談が開かれた板門店(パンムンジョム)北側の統一閣では約11分間の停電で会談が中断した。停電で会談場が暗くなると、南側代表は「ろうそくの火でもつけよう」と提案したが、北側代表は「水でも飲みながら電気がつけば再開しよう」として当惑する姿を隠そうとした。

その後、南側代表は「我々は最近、電気が豊富だ」とし「そのような困難があるのならば我々が迅速に南北交流も拡大しなければいけない」と話すと、北側代表は「今日はどうしてこのようになったのか分からないが、電力は我々が昔にも南側に送ると言ったが」と応酬した。

今回の文書公開は2022年の最初の公開から6回目となる。統一部がこの日に公開した文書には分断後に最初に開催された南北経済会談(1984年11月-1985年11月)と南北国会会談予備接触(1985年7-9月)、南北高官級会談予備会談(1989年2月-1990年7月)、国際オリンピック委員会(IOC)の仲裁で開かれたローザンヌ南北体育会談(1985年10月-1986年6月)などの進行過程と会議録が含まれている。



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