「すべてが灰になった。また元通りになるだろうか」
13日(現地時間)、米国カリフォルニア・ロサンゼルス(LA)で建築会社PMKを運営する在米韓国人ポール・キム代表が携帯電話で写真を見せながらこのように話した。写真の中の濃い灰色の煙の向こうに見えるのは原形が分からないほど焼けて廃虚と化した家の跡地だけだった。キムさんは「また帰って来るだろうと思って靴下をいくつか持って出てきたが、後で行ってみるとすべてが灰になっていた」とし「何をどうすればいいのか分からないほど頭が空っぽの状態」と話した。
一日にして安息の場を失ったキムさんは現在息子の家に寝泊まりしている。かつて生活してた町を思い出すと胸が詰まるという。キムさんは「今は住んでいた所に行くことはあまりにもつらすぎる」とし「平穏だった町がすべて消えてしまった」と伝えた。
◇廃虚と化した家に茫然自失
傷痕は至るところに残る。この日午前10時、イートン山火事被害地域であるノース・アルタデナ・ドライブとカピアス・ドライブの交差点に行ってみた。山火事発生直後だった8日、ここは襟がめくれるほどの強風で灰が前も見えないくらい舞い散っていた地域だ。5日ぶりにやってきた交差点は風の音が耳元をかすめるほど静かだった。合間に見える骨組でここには家が立っていた事実を知ることができた。雲一つない青い空が作り物のようだった。
老人がツルハシとスコップを手に、残骸の中から何かを探していた。自身をホセと名乗った老人は「ここは私の娘が住んでいた家」としながら「娘が今あまりにもつらそうなので、私が代わりに残った物を探しにきた」と話した。あわせて「ここがリビングとベッドルームだったが、この近くに確かに写真や貴重品があったはず」と繰り返して話した。
アルタデナのワシントン・ブールバードとデレイ・アベニューも状況は似ていた。高齢者の憩いの場「トゥーパームス・ナーシングセンター」があった場所だった。破損した車椅子、病院用ベッド、倒木の残骸などが乱雑に散らかしていて、黒く焼け焦げた鉄骨構造物だけが無惨に残されていた。近隣のマクドナルドは今回の山火事で窓ガラスがすべて割れた。外壁のあちこちにみえる煤煙は火魔がなめ尽くして行った跡だった。
その横に完全に消えてしまった「アルベセン・チャーター・スクール」の建物跡も見えた。鉄条網の向こう側にバスケットボールのゴールポストと学校掲示板だけがぽつんと残されていた。学生たちが勉強し、元気に走り回っていた学校だったというのが想像しにくいほどだった。学校の前を通りかかった住民にインタビューを試みたが「今は何も言いたくない」とし「人々でにぎわっていた町が一瞬でこんなふうに変わり果てるなんて信じられなくてとてもつらい」と話した。
特にアルタデナはラクレセンタ、ラキャナダなどとあわせて在米韓国人が数多く居住している地域だ。今回の山火事の被害地域の一つであるパシフィック・パリセーズにもメジャーリーガーだった朴賛浩(パク・チャノ)をはじめとする韓国人たちが住んでいる。
◇韓国人住宅も大きな被害
不動産名義情報会社であるシカゴタイトルがアルタデナ地域の住宅所有主現況を確認した結果、キム(Kim)、リー(Lee)、パク(Park)、ジョン(Jung)など主要韓国人姓氏の所有主がアルタデナだけで150軒、パリセーズでは130軒が検索された。これは主要な韓国人の姓氏だけを検索したもので、実際の韓国人被害はこれよりももっと多いものとみられる。
山火事の拡散で煙の臭いが充満していたアルタデナ地域は少しずつ残骸の中から復旧のための第一歩を踏み出そうとしている。この日、ウッドバリー・ロードとフェアオークス・アベニューの交差点ではメキシコ料理のケータリング会社「Fluff’s Tacos」がテントを張って無料でタコスを配っていた。消防隊員や住民たちのためのケータリングサービスだった。テントの近くでは被災者のための水、衣類、缶詰のような救護品も積み上げられていた。同社のスタッフ、ラファエル・ロドリゲスさんは住民に「タコスを食べて必要な物品があれば持っていって」とし「食事と物品が少しでも力になれば」と力強く語った。
パサディナ・コンベンションセンターは被害者のための避難所に指定された。避難所を管理する赤十字社によると、13日基準約600人がここに留まっている。センターは被害者の安定のために一般人とメディアの出入りは徹底的に統制していた。
連邦緊急事態管理庁(FEMA)職員はこの日、避難所で被害者に政府支援基金申請方法などを伝えた。この日避難所でFEMA職員との相談を終えたテレサさんは「家族がいるこの町に住んでいたが、家2軒がすべて焼失した」とし「家族が体以外のものはすべて失くしてしまい、どう回復していけるのか先が真っ暗の状態」と話した。
13日(現地時間)、米国カリフォルニア・ロサンゼルス(LA)で建築会社PMKを運営する在米韓国人ポール・キム代表が携帯電話で写真を見せながらこのように話した。写真の中の濃い灰色の煙の向こうに見えるのは原形が分からないほど焼けて廃虚と化した家の跡地だけだった。キムさんは「また帰って来るだろうと思って靴下をいくつか持って出てきたが、後で行ってみるとすべてが灰になっていた」とし「何をどうすればいいのか分からないほど頭が空っぽの状態」と話した。
一日にして安息の場を失ったキムさんは現在息子の家に寝泊まりしている。かつて生活してた町を思い出すと胸が詰まるという。キムさんは「今は住んでいた所に行くことはあまりにもつらすぎる」とし「平穏だった町がすべて消えてしまった」と伝えた。
◇廃虚と化した家に茫然自失
傷痕は至るところに残る。この日午前10時、イートン山火事被害地域であるノース・アルタデナ・ドライブとカピアス・ドライブの交差点に行ってみた。山火事発生直後だった8日、ここは襟がめくれるほどの強風で灰が前も見えないくらい舞い散っていた地域だ。5日ぶりにやってきた交差点は風の音が耳元をかすめるほど静かだった。合間に見える骨組でここには家が立っていた事実を知ることができた。雲一つない青い空が作り物のようだった。
老人がツルハシとスコップを手に、残骸の中から何かを探していた。自身をホセと名乗った老人は「ここは私の娘が住んでいた家」としながら「娘が今あまりにもつらそうなので、私が代わりに残った物を探しにきた」と話した。あわせて「ここがリビングとベッドルームだったが、この近くに確かに写真や貴重品があったはず」と繰り返して話した。
アルタデナのワシントン・ブールバードとデレイ・アベニューも状況は似ていた。高齢者の憩いの場「トゥーパームス・ナーシングセンター」があった場所だった。破損した車椅子、病院用ベッド、倒木の残骸などが乱雑に散らかしていて、黒く焼け焦げた鉄骨構造物だけが無惨に残されていた。近隣のマクドナルドは今回の山火事で窓ガラスがすべて割れた。外壁のあちこちにみえる煤煙は火魔がなめ尽くして行った跡だった。
その横に完全に消えてしまった「アルベセン・チャーター・スクール」の建物跡も見えた。鉄条網の向こう側にバスケットボールのゴールポストと学校掲示板だけがぽつんと残されていた。学生たちが勉強し、元気に走り回っていた学校だったというのが想像しにくいほどだった。学校の前を通りかかった住民にインタビューを試みたが「今は何も言いたくない」とし「人々でにぎわっていた町が一瞬でこんなふうに変わり果てるなんて信じられなくてとてもつらい」と話した。
特にアルタデナはラクレセンタ、ラキャナダなどとあわせて在米韓国人が数多く居住している地域だ。今回の山火事の被害地域の一つであるパシフィック・パリセーズにもメジャーリーガーだった朴賛浩(パク・チャノ)をはじめとする韓国人たちが住んでいる。
◇韓国人住宅も大きな被害
不動産名義情報会社であるシカゴタイトルがアルタデナ地域の住宅所有主現況を確認した結果、キム(Kim)、リー(Lee)、パク(Park)、ジョン(Jung)など主要韓国人姓氏の所有主がアルタデナだけで150軒、パリセーズでは130軒が検索された。これは主要な韓国人の姓氏だけを検索したもので、実際の韓国人被害はこれよりももっと多いものとみられる。
山火事の拡散で煙の臭いが充満していたアルタデナ地域は少しずつ残骸の中から復旧のための第一歩を踏み出そうとしている。この日、ウッドバリー・ロードとフェアオークス・アベニューの交差点ではメキシコ料理のケータリング会社「Fluff’s Tacos」がテントを張って無料でタコスを配っていた。消防隊員や住民たちのためのケータリングサービスだった。テントの近くでは被災者のための水、衣類、缶詰のような救護品も積み上げられていた。同社のスタッフ、ラファエル・ロドリゲスさんは住民に「タコスを食べて必要な物品があれば持っていって」とし「食事と物品が少しでも力になれば」と力強く語った。
パサディナ・コンベンションセンターは被害者のための避難所に指定された。避難所を管理する赤十字社によると、13日基準約600人がここに留まっている。センターは被害者の安定のために一般人とメディアの出入りは徹底的に統制していた。
連邦緊急事態管理庁(FEMA)職員はこの日、避難所で被害者に政府支援基金申請方法などを伝えた。この日避難所でFEMA職員との相談を終えたテレサさんは「家族がいるこの町に住んでいたが、家2軒がすべて焼失した」とし「家族が体以外のものはすべて失くしてしまい、どう回復していけるのか先が真っ暗の状態」と話した。
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