尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は独特の存在だ。かつて韓国の保守・進歩勢力の双方から愛され、憎まれる対象だったからだ。尹大統領は検事だった2013年、国家情報院世論操作捜査チーム長を引き受け、政権を気にせず捜査を行った。同年10月、ソウル高検を対象にした国会法制司法委員会の国政監査に出て「捜査の過程で外圧があった」と爆弾発言をした。当時「人に忠誠を尽くすのではないか」という鄭甲潤(チョン・ガプユン)セヌリ党議員の質問に対し、尹錫悦検事は「人に忠誠を尽くさないのでこの言葉を申し上げる」と答えた。大統領・尹錫悦を作った叙事の始まりだ。
上の質問の「人」とは、尹大統領と近しく国家情報院の捜査を進める過程で隠し子疑惑が浮上して辞任した蔡東旭(チェ・ドンウク)元検察総長のことと知られている。しかし答弁を広く解釈すれば、個人的な縁を離れて権力者に忠誠を尽くさず法治主義を守るという意味にもなる。
地方に左遷された尹大統領は、2016年に崔順実(チェ・スンシル)ゲートが浮上して朴英洙(パク・ヨンス)特別検察官チームが構成されると、ここに合流して存在感を高めた。2017年5月に文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足すると、ソウル中央地検長に登用され、大々的な積弊清算捜査に入った。朴槿恵(パク・クネ)政権の人たちが多数拘束された。捜査の過程で極端な選択をするケースもあった。保守勢力の立場では歯ぎしりするほどだった。
2019年7月に検察総長に任命された当時、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「わが尹総長」と呼び、「生きた権力にも厳正に臨んでほしい」と述べた。当時の聴聞会で金建希(キム・ゴンヒ)夫人をめぐる疑惑が提起されたが、共に民主党はこれを積極的に援護した。しかし曺国(チョ・グク)事態が浮上すると、「わが尹総長」は進歩陣営の憎悪の対象になった。その後、蔚山(ウルサン)市長選挙介入捜査などで文在寅政権との葛藤が深まると、突然、保守の希望に浮上し、大統領に当選した。
人に忠誠を尽くさないと言っていたが、彼は義理の男だった。前回の大統領選挙直前に公開された金夫人の通話録音にはこのような部分も出てくる。「すぐに陣営を変えることはありえない」 「夫は義理があるので文在寅大統領の忠臣」。尹錫悦師団が形成されたのを見てもそうだ。検察特有の命令服従文化があるとしても、師団という言葉が出るほど強い連帯感がなければいけない。
「人に忠誠を尽くさない」と「義理」は相反する側面がある。それでも監視するべき最高権力者が存在する限り、合理化する余地もあった。しかし大統領になった瞬間、2つは両立できなくなった。そして尹大統領が決定的な時期を迎えるたびに選択したのは「身内の人」を守る義理だった。チェ上等兵死亡事件でも責任を取るべき人が責任を取ればよい問題だった。自分側の人であっても義理を破れば敵になる。韓東勲(ハン・ドンフン)国民の力代表が前の総選挙の前に金夫人の問題を指摘すると、容赦なく投げ出そうとした。
当然、狭い人材集団の中に閉じこもることになった。さらに口を封じる過剰警護が繰り返されるなど、最高権力者が警戒するべき権威主義的な兆候が表れ始めた。権力周辺のこうした「忠臣」は忠誠心だけを前に出す無能なケースがほとんどだ。そのためか推進する政策ごとにどこかネジが緩んでいた。必要な政策もまともに推進できず、今回の非常戒厳宣言は最初から方向が完全に間違った。
非常戒厳を発動しても国会に通知しなかった。軍を国会に送ったのも法治主義と憲法を毀損したものだ。いかなる言葉でも正当化できない。大統領としての誤った判断は責任を免れる道がない。国会の戒厳解除議決を受け入れたのは不幸中の幸いだが、大統領として正常な職務遂行をするのは難しい。
ただ、いかなる形で終えるかを選択する時間は残っている。しかし尹大統領は4日に与党指導部と会った席でも過ちはないという趣旨の立場を伝えたという。国民の多数の世論とはかけ離れた考えだ。こうした態度では残された時間まで無意味に経過し、事態を悪化させるだけだ。選択肢も減ってくる。
尹大統領は感銘を受けた本にミルトン・フリードマンの『選択の自由』を挙げた。1979年版の序文にこのような内容がある。「本当にあなた自身を説得できるのはあなた自身だけだ」。尹大統領の決断があってこそ混乱を収拾し、最も副作用が少ない方法で新しい時代を開くことができる。そうしてこそ国民も納得する部分が生じる。周囲が提示する収拾策を開かれた心で受け入れて賢明な選択をしなければいけない。それが最後に国家と国民に忠誠を尽くす道だ。
キム・ウォンベ/論説委員
上の質問の「人」とは、尹大統領と近しく国家情報院の捜査を進める過程で隠し子疑惑が浮上して辞任した蔡東旭(チェ・ドンウク)元検察総長のことと知られている。しかし答弁を広く解釈すれば、個人的な縁を離れて権力者に忠誠を尽くさず法治主義を守るという意味にもなる。
地方に左遷された尹大統領は、2016年に崔順実(チェ・スンシル)ゲートが浮上して朴英洙(パク・ヨンス)特別検察官チームが構成されると、ここに合流して存在感を高めた。2017年5月に文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足すると、ソウル中央地検長に登用され、大々的な積弊清算捜査に入った。朴槿恵(パク・クネ)政権の人たちが多数拘束された。捜査の過程で極端な選択をするケースもあった。保守勢力の立場では歯ぎしりするほどだった。
2019年7月に検察総長に任命された当時、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「わが尹総長」と呼び、「生きた権力にも厳正に臨んでほしい」と述べた。当時の聴聞会で金建希(キム・ゴンヒ)夫人をめぐる疑惑が提起されたが、共に民主党はこれを積極的に援護した。しかし曺国(チョ・グク)事態が浮上すると、「わが尹総長」は進歩陣営の憎悪の対象になった。その後、蔚山(ウルサン)市長選挙介入捜査などで文在寅政権との葛藤が深まると、突然、保守の希望に浮上し、大統領に当選した。
人に忠誠を尽くさないと言っていたが、彼は義理の男だった。前回の大統領選挙直前に公開された金夫人の通話録音にはこのような部分も出てくる。「すぐに陣営を変えることはありえない」 「夫は義理があるので文在寅大統領の忠臣」。尹錫悦師団が形成されたのを見てもそうだ。検察特有の命令服従文化があるとしても、師団という言葉が出るほど強い連帯感がなければいけない。
「人に忠誠を尽くさない」と「義理」は相反する側面がある。それでも監視するべき最高権力者が存在する限り、合理化する余地もあった。しかし大統領になった瞬間、2つは両立できなくなった。そして尹大統領が決定的な時期を迎えるたびに選択したのは「身内の人」を守る義理だった。チェ上等兵死亡事件でも責任を取るべき人が責任を取ればよい問題だった。自分側の人であっても義理を破れば敵になる。韓東勲(ハン・ドンフン)国民の力代表が前の総選挙の前に金夫人の問題を指摘すると、容赦なく投げ出そうとした。
当然、狭い人材集団の中に閉じこもることになった。さらに口を封じる過剰警護が繰り返されるなど、最高権力者が警戒するべき権威主義的な兆候が表れ始めた。権力周辺のこうした「忠臣」は忠誠心だけを前に出す無能なケースがほとんどだ。そのためか推進する政策ごとにどこかネジが緩んでいた。必要な政策もまともに推進できず、今回の非常戒厳宣言は最初から方向が完全に間違った。
非常戒厳を発動しても国会に通知しなかった。軍を国会に送ったのも法治主義と憲法を毀損したものだ。いかなる言葉でも正当化できない。大統領としての誤った判断は責任を免れる道がない。国会の戒厳解除議決を受け入れたのは不幸中の幸いだが、大統領として正常な職務遂行をするのは難しい。
ただ、いかなる形で終えるかを選択する時間は残っている。しかし尹大統領は4日に与党指導部と会った席でも過ちはないという趣旨の立場を伝えたという。国民の多数の世論とはかけ離れた考えだ。こうした態度では残された時間まで無意味に経過し、事態を悪化させるだけだ。選択肢も減ってくる。
尹大統領は感銘を受けた本にミルトン・フリードマンの『選択の自由』を挙げた。1979年版の序文にこのような内容がある。「本当にあなた自身を説得できるのはあなた自身だけだ」。尹大統領の決断があってこそ混乱を収拾し、最も副作用が少ない方法で新しい時代を開くことができる。そうしてこそ国民も納得する部分が生じる。周囲が提示する収拾策を開かれた心で受け入れて賢明な選択をしなければいけない。それが最後に国家と国民に忠誠を尽くす道だ。
キム・ウォンベ/論説委員
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